〈HOWS講座〉 関東大震災時の朝鮮人大虐殺の真相に迫る
再生産される虐殺起こした差別構造


 九月九日のHOWS講座は「関東大震災と朝鮮人虐殺」をテーマに、朝鮮に対する異常なバッシングが続く今日の状況と照らし合わせながら、九四年前の関東大震災のとき何が起きたかを学んだ。講師は西崎雅夫さん(関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会・運営委員)。

国の関与は明らか

 一九二三年九月一日に起きた関東大震災の死者数は一〇万五三八五人(東京七万三八七人、神奈川三万二八三八人)、東京市(当時)は四三%が焼失した。電話線は地震と火災で断線、新聞社も多くは焼失し、ラジオ放送はまだ始まっていない(翌二四年開始)。
 情報網が途絶するなかで流言蜚語が生じた。見落としてならないのは、その蜚語が公的に流されたことだ。九月三日午前八時一五分に海軍船橋無線電信所より内務省警保局長の名で打電された電文には「……朝鮮人は各地に放火……鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし」とある。各地の警察署には「朝鮮人放火・投毒」の看板・貼り紙が出され、人びとを煽った。軍が、お巡りさんが言うんだから間違いないと朝鮮人に襲いかかったのだ。
 流言蜚語が拡がるとともに自警団が結成される。東京では全部で一五九三もの団体が。そうして殺戮が始まる。
 「三人が太い丸太棒を持ってきて、生きた人間を餅をつくようにボッタ、ボッタと打ち叩きました。……死んでいる彼を池から引きずり出し、かわるがわるまた丸太棒で打ち叩きました。肉は破れ、血は飛び散り、人間の形のなくなるほどに打ち」(江東区・大島)
 「薪でおこした火の上に四人か五人の男の人が、朝鮮人の手と足が大の字になるように、動かないようにもって下から燃やしているんですよ。火あぶりですよね」(墨田区・両国)
 「いちばんおそろしかったのは、妊娠した女の人の死体です。針金でゆわかれて、ひき裂かれたお腹に石がいっぱい詰めこまれて、ドブ川に捨ててあるんです」(江東区・大島)氷山の一角であろう目撃証言が明らかにする惨たらしさには言葉が出ない。どうしてここまで酷くなれたのか。震災で家族を喪い、自然災害が相手では持って行き場のない憤懣の奔出先に朝鮮人がされたこともあろう。殺戮の最中に「こいつらがおれたちの兄弟や親を殺したのだ」と目を血走らせていたという証言がある。理不尽きわまる。それに自警団の中心になっていた在郷軍人会は、すでに日清・日露戦争において半島で殺戮行為を経験ずみだった。
 警察が暴徒を制した場合もあるが虐殺の先頭に立ってもいた。
 「巡査がすぐ連れて行って、夜になるとまとめて、この先の田んぼのあたりで銃殺したんです」(江東区・大島)
 荒川に架かる四ツ木橋では、軍隊が機関銃で多数の朝鮮人を射殺した。主体は千葉県から駆けつけた習志野騎兵連隊・国府台野重砲兵連隊である。

小池都知事の歴史修正主義を許すな

 さて今日である。西崎さんも報告で言及されていたが、小池百合子・東京都知事は今年、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への恒例だった追悼文送付を断り、九月一日の記者会見では虐殺の有無すら明言しなかった。その前にあったのは今年三月、都議会一般質問で自民党の古賀俊昭議員が追悼碑文にある六〇〇〇余名という犠牲者数を「根拠が希薄」として、「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず」云々と質問したことだ。これを受けての極右同士の連携プレーなのだ。「歴史をゆがめ」ているのはどちらだろう。六〇〇〇余名というのは、日本政府が実態調査をせず、それどころか事件の隠蔽に走るなかで唯一、犠牲者調査を行なった当時の朝鮮人留学生の努力による数字である。さまざまな制約があって、なるほど完全に正確に把握されているわけではない。だが、それが正確に把握できないのは、殺した側が自分たちの犯罪に口をぬぐってきたからではないか。
 講座後半の質疑応答では、HOWSに初めて参加したという年配の在日男性から「朝鮮民主主義人民共和国が創建された記念すべき日付に意義深い話を聴くことができて感謝する」という発言があったのを始め、活発なやりとりがあった。
 共和国といえば、このあいだまで行なわれていた米韓合同軍事演習は共和国への核先制攻撃戦略を柱としていたし、米国はこの間ICBMを四回も発射している。ところがそれは何ら批判されずメディアは朝鮮批判だけをくり返す。
 震災における虐殺の前にも、植民地とした朝鮮への蔑視報道があった。昨今の度重なるヘイトキャンペーンは、再度の朝鮮人虐殺を是認しているかのようだ。そんなことを絶対にゆるしてはならない。わたしたちの覚悟も問われている。 【土田宏樹】

(『思想運動』1008号 2017年9月15日号)