<HOWS講座>映画『母』(フセヴォロド‐プドフキン監督)上映と討論
モンタージュの実践について

 約ふた月前になる、九月二日に、H O W S 講座「映画『母』(フセヴォロド‐プドフキン監督)上映と討論」が開催された。講師は立野正裕さん(元明治大学教員)。
 講座は盛況であった。講師の豊かな映画体験を交えながらの情熱的な語り口と傾聴する参加者の顔つきを思い返しながら、わたしはそのことを確信する。にもかかわらず、わたしは不満足を腹の底にかかえている。その原因は第一に、進行を担当した筆者の拙さにある。第二に、参加者の意見のおおくが平面的であったことにある。二つは突きつめれば同じところに行きつくはずだ。わたしたちは議論を組み合わせるという意識が稀薄であった。
 貴重な意見は確かにあった。
 たとえば、映画の最後で赤旗を掲げる母は、ドラクロワの《民衆を導く自由の女神》を想起させる、という発言は、参加者をフランス革命の歴史へと誘い、革命を歴史の過程として見定め、革命のエキスを考究する視座をあたえた。
 また母ニーロヴナが、ひとりの息子の母からひとつの階級の母へと成長する姿が、映像的に説得力をもっているか、映画の具体的な場面を取り出し意見がたたかわされた。
 それでも概ねおおくの感想は点在したままになってしまった。あるいは議論が堂々巡りになった感は否めない。
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 『母』の最大の見どころは、一九〇五年のメーデーにむかいショットが積み重ねられるラスト三〇分にある。
 労働者大衆からなるデモ隊。デモを弾圧するべく構える騎馬隊。一帯に厚い氷をはった河は、新しい季節が砕き押し流す。激流はロシア全土へ拡がることが予感される。その河上を脱獄した息子パーヴェルが渡る。かれの階級へ連なるために。パーヴェルはストライキの首謀者と目され投獄されていたのだった。これら四つの潮流はついに二つの主流となる。支配階級と被支配階級がすなわちそれである。
 四つのモンタージュは、プドフキンの革命的精神によって革命的主題へと統一された。『母』では四つのモンタージュが並列して積み重ねられる。エイゼンシュテインのモンタージュが「衝突」といわれることにたいして、プドフキンのモンタージュが「連続」と形容される所以である。
 会場からは、プドフキンとエイゼンシュテインの映像表現の差異をめぐる質問が出された。講師は、両者には理論的骨格の違いはあるが、同時代人として互いに影響しあう関係にあったことにも留意すべきだろうと応じた。それは映像表現を技術論としてのみあつかう風潮や安易さへの警戒の表明ではなかったか。
 講師は、エイゼンシュテイン・モンタージュ理論に仮託しつつ、モンタージュの地平を次のごとく語った。
 二つの対照的な画面が衝突することで「第三の画面」を観客の頭脳に生じさせること、映画表現家は、その「第三の画面」をこそ観客ひとりひとりに伝えねばならない。映画全体はあるひとつの明確なメッセージを伝える。しかしそれを受けとる観客ひとりひとりの感受性や想像力は、千差万別、十人十色の豊かさで映像を受けとる。だから映画を観た後にわたしたちは議論をするのであり、その議論がさらにモンタージュをつくりあげること、つまり議論の場そのものをモンタージュ理論の実践の場とすることを目指すべきであると力説した。
 プドフキンもまた、観客が芸術家と共に現実認識の行為に参加して、芸術作品を社会的歴史的過程と化させる必要を説いている。
 その革命の芸術の伝統は、花田清輝、武井昭夫、湯地朝雄の仕事に力強く息づいている。すなわち「作者=創造者」「読者・観客=享受者」という切り離された関係を変革し、両者をつなぐ環を批評の機能にもとめ、もっぱら両者を創造の問題としてとらえようとした数々の発言のなかに、それはみとめられる。批評は創造である。
 したがってあの日、講師は、HOWSは革命の芸術の実践の場であり、参加者めいめいはその主体者であるという意識をどれほどもっているかを問いかけたのだと、わたしは思っている。 【伊藤龍哉】

(『思想運動』1011号 2017年11月15日号)