HOWS講座報告「原則に立ち返り、闘う労働運動の再建を!」
組合が仕事を管理するのが「職場闘争」
大手企業の二〇一九春闘は、今年もストライキはもとより労資争議は皆無の状況であった。一九八九年の連合発足以降、団体交渉を柱にして闘うことで要求を実現するよりも、協調的で安定的な労使関係を構築することが、大企業の組合運動・運営の主流となり、官公労と中小もその影響をモロに受けている実態にある。はたして、組合員の行動を伴わない=ストライキなどの団体行動権を行使しない、組合活動が経営・資本と対等な関係にあるのか。
二月二十七日のHOWS講座は、職場闘争の重要性を再考するために、東京清掃労働組合中央支部の遠藤常夫委員長から清掃中央支部の職場闘争の報告を受け、討論を行なった。以下は、その報告である。
入局直後から区移管阻止闘争に参加
講座はビデオ『背面監視』(一九九八年・ビデオプレス制作)の上映から始まった。分割民営化後、JRの東京駅からは「水飲み場」が撤去され、代わりに水のペットボトルを売る自動販売機が設置された。この自動販売機にペットボトルを詰めるのは、それまで保線や駅務をしていた国労の組合員である。講師は、差別と不当な労務政策と闘う国労組合員の活動を職場闘争の例示として取り上げた。二〇年前の作品だが、いまも一見の価値がある。
次いで、遠藤委員長は自らの経歴に即して、主に中央支部の闘いを報告した。遠藤さんは、一九八五年に東京都清掃局・日本橋清掃事務所に配属されてからの経歴と当時の清掃労働組合の取り組みから話を始めた。入局は九月十六日付けであった。前日の十五日付けなら、その年の年末一時金の支給対象になったという。労働者への支給を削りたいとの当局の姿勢が露骨だ。
配属された職場は所長以外は全員が組合員。新入職員は誰もが当然のこととして組合員となった。遠藤さんも、二か月後の十一月には、住民に「清掃事業の区移管反対の」一〇〇万人署名と各戸ビラ配布などの組合活動を行なった。
清掃事業の東京都から二三区への移管にかかわる闘い(以下、区移管阻止闘争)は、戦後すぐの一九四七年に「地方自治法施行」を受けて区側から組合に提案されて以降、ほぼ毎年のように、東京都あるいは区側からの提案が組合に出され、二〇〇六年まで闘いが継続した。一九九四年には「有明コロシアム一万人集会」を開催し、家族を含め一万一四六五名が結集した(当時の組合員は約一万五〇〇〇人)。この区移管阻止闘争は、東京清掃労働組合の歴史でもある。
所長を除けば全員が組合員
一九八九年の総評解散後に、東京清掃は上部団体の組織選択で、組合員全員による一票投票を実施した。各支部がまとまって連合加盟か全労連加盟かの選択を行なうことにより、支部の分裂を回避することができた。それにより東京清掃の各支部は、現在に至るまでほぼ一〇〇%の組織率を維持している。
中央支部の職場は現在、一五〇人の職員のうち管理職は所長一名だけで、他は係長以下全員が組合員で、組織率は一〇〇%である。この状況で、職場にかかわる要求は、基本的には、組合が要求すればすべて実現できると言ってよい。
職場闘争と言うと、民間などでは資本が労働組合の闘いに弾圧をかけ、組合はストライキを含め反撃するが、最終的には組合員が減少して、職場では少数組合になるのが一般的ではないだろうか。官公労の中でも最強と言われた国鉄労働組合でさえ、一九八七年の国鉄分割民営化で、国と総資本と国鉄当局の総攻撃を受け、組合員が分割民営化前の二〇万人から民営化直後には三万人に減ってしまった。そして、職場で一度少数派になってしまうと、運動の重点が職場から離れ法廷闘争にならざるを得なくなるケースが多い。
先ほど述べたが、清掃では組織率が一〇〇%の職場が多い。少数では資本や当局から露骨な弾圧を受ける。職場闘争を軸に闘うといっても職場で多数でいるのと、少数でいるのとでは決定的に違うと考えている。
清掃では「職場闘争」の定義を、概略、「職場には常に敵の攻撃がある。闘いの強化は要求と行動の強化を職場に置くのは当然である。職場での労働強化の攻撃に対し、労働条件を守っていくためにも職場における労働組合組織の確立にためにも、職場活動、職場闘争が重要になる。そのために、職場に真の労働組合の建設と職場闘争の強化に取り組む」としている(『清掃労組50年史』より、昭和四六年・一九七一年の方針)。
わたしが職場に入った当時は、組合員が午後二時~三時頃に仕事が終わり帰ってしまっても、時間管理は組合がしていたので、さして問題がないようにも見えた。しかし、当局の人減らし合理化により、三年あるいは一〇年もの間、新規採用がないこともある。仕事は増えるが人は増えない、仕事はきつくなる。こうした状況が一〇〇%の組織率の清掃職場にも職場闘争を必要とさせ、根付かせることとなった。
職場闘争とは何か
ストライキを打てるかどうかが職場闘争の大きな尺度であることはその通りだ。しかし、ストライキを貫徹することが職場闘争の目的ではない。組合員全員がストに入り、全員に東京清掃労働組合にある闘争資金で賃金を補填すると、三日間のストができる。三日間の全面ストライキは財政面からだけなら可能ではある。しかし三日間の全面ストを行なえば、都内にはゴミが溢れることになる。世間からはたたかれる。マスコミの反労働組合の論調はすごいことになるだろう。またスト解除後のゴミの解消・処理も自分たちでやることになる。
東京清掃が近年にストライキに突入したのは、もう一五年ほど前で、二時間の時限ストを実施した。この時は、「実害のないストは無意味」との考えから、日本橋支部など数支部は組合指令により、「この責任は青島知事にある」とシールを貼って、本来は回収すべき総量の八分の一の量(総容積では一二トン程度)のゴミを残した。
わたしは、職場闘争とは組合の力を示すこと、職場での決定権を組合が握ることだと考えている。たとえ所長が業務指示を出しても、組合が同意していない業務指示には従わない。
日本橋清掃事務所(中央支部)では、毎日のゴミ回収ルートの作成をはじめ、業務の立案・実施は、委員長・書記長の責任で組合が作成している。組合員が委員長・書記長の指示通りに行動するとの裏付けがあって職場で所長に対峙している。毎朝行なう作業の確認は、言わば「団体交渉」である。職場が回っているのは労働組合が存在しているからだ。
余談になるが日本橋清掃事務所では、出退勤管理をそれまでのハンコ捺印からタイムカード方式に、今年の一月から変更した。ここ三~四年当局から申し入れがあったが「必要性がない」と拒否してきたのだが、ハンコ方式のため処理する職員の仕事量が負担になっていることが明らかになったので、組合が同意した。
清掃事務所が実施したいことでも、清掃中央支部の同意がなければ実施できない。こうしたことは組合員の団結と力の反映であり、この関係を維持することが職場闘争であると考えている。
以上の遠藤委員長からの報告の後、参加者からの質問と討論、清掃中央支部からの参加した組合員の発言などが続いたが、紙面の都合で割愛した。 【田沼久男】
(『思想運動』1039号 2019年4月1日号)
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