HOWS講座 掘りくずされる憲法秩序と象徴天皇制
日本国憲法と天皇制――「代替わり」騒ぎのなかで改めて考える
清水雅彦(日本体育大学教授・憲法学)
憲法の本質・出発点は、国家権力を縛る「国家権力制限規範」にある。憲法によってしばられているのは天皇についても同じだが、二〇一六年の天皇のビデオメッセージから始まったいわゆる代替りは、天皇みずからがそのしばり(憲法の基本)に違反して行なわれた。これらのことを踏まえ、今回はもう一度、憲法の基本に立ち返ってその歴史と原理から考えていきたい。
[憲法とは何か、立憲主義とは何か]
「人の支配」から「法の支配」への転換
人類にとって社会がガラッと変わるのは、フランス革命などの近代市民革命からである。近代市民革命以前の封建制社会においては、力の強い者が支配者になれた。その支配を正当化するのは、「力の強さ」にあるのだが、暴力は行使される側にいろいろな不満がたまっていくし、行使する側も労力を要するので、ヨーロッパにおいても、日本においても、神話を作って、この神話によって支配を正当化していった。ヨーロッパであれば王権神授説だし、日本だと記紀などになる。日本では、実際にはひとつの部族に過ぎなかった天皇家が、支配を確立した後に神話を作って、天照大神がニニギノミコトを日本に遣わして、その末裔が天皇家である、という作り話を庶民に信じ込ませた。
こういう封建制社会までの支配形態を「人の支配」という言い方をする。
これに対して、フランス革命(ブルジョワ市民革命)では、これまでさんざん悪さをしてきた国家権力を打ち倒し、国王のルイ一六世を殺すまでにいたる。そしてこれからどうするか、となったとき、国家をなくしたら、無秩序になるのでなくすわけにはいかない。そこで国家権力にもう悪さをさせないために作ったのが憲法だ。市民革命後は、それまでの「人の支配」に対して、「法の支配」(憲法にもとづいた支配)を行なっていくことになった。
憲法の二つの構成要素
憲法=constitutionの意味は組織・構成である。元々は「憲法」という意味はなかったが、国の組織、構成を書く法なので、constitutionに「憲法」という意味を持たせるようになった。
憲法は大きく「統治規定」と「人権規定」の二つの部分から構成されている。日本国憲法の場合はすぐに「人権規定」が思い浮かべられるが、大学の授業では統治規定と人権規定を半々くらいの割合で教える。実際には、憲法の圧倒的多数は統治規定、人権規定はわずか一つの章しかない(第三章)。
アメリカ合衆国憲法にいたっては、当初、人権規定は憲法の中にはなかった。典型的な憲法、統治規定だけの憲法だった。つまり、そもそも国家にはどういう組織、機関があって、そこは何をするのかを書くということは、基本的にはそれ以外の組織、機関を勝手に設けてはいけない、勝手なことをやってはいけないといった形で国家権力をしばるのが憲法で、その結果、国民の権利、自由が守られる、という考えだ。
ただ、国家権力は常に国民の権利、自由を侵害するおそれのある存在だから、アメリカ合衆国憲法はその後、人権規定を追加していく。これは修正条項といい、一つずつ条文、人権規定を追加していって、今の合衆国憲法になっている。
[市民革命の成果を反映した日本国憲法]
日本の場合、まず大日本帝国憲法は、江戸時代の鎖国を解いて、欧米列強と対等にやっていくために急遽ヨーロッパの国々を参考にして作られた。ただし天皇を頂点とした国家体制なので、立憲主義のふりをした天皇中心の憲法を作っていくことになった。憲法はあったが、国民の権利、自由を守ることが、大きな目的ではなかったので、人権規定があっても、恩恵的な臣民の権利にすぎなかった。
自由権が中心で、法律による留保があるということは、法律によっていくらでも人権を制限できるということだ。市民革命後の近代憲法は、国家権力をしばり、自由権(精神的自由、経済的自由、人身の自由)を保障した。
よく「国家からの自由」という言い方をするが、国家が余計なことをしなければ保障されるのが自由権だ。これによって市民革命後は、国家が余計な口出しをしない、公と私を分けて、私的な領域に国家が入り込むことはしないという形になっていく。
それが資本主義社会になっていくと、逆に国家が余計な口出しをしない、私的な問題に口出しをしないことによって、労資の関係の問題にも口出しをしない。しかし実際には、資本主義社会では、一部の資本家が力を持ち、多くの労働者を搾取しているので、労資の問題に国家権力が口出しをしないことになると、当然、資本家の方が優位に立ってしまう。たとえば、労働者が賃金を上げろとか、労働時間を短くしろといっても、国家は口出しをしない、つまり労働者を守らないわけだから、資本家のやりたい放題になってしまう。
そこで一九世紀、労働運動、社会主義運動が盛り上がって、二〇世紀に入ってロシア革命が成功する。ドイツにも波及しそうになり、ドイツの資本家が妥協して、革命を成功させないためにワイマール憲法がつくられ、労働者を守るための生存権などの社会権を入れていくことになった。労働運動、社会主義運動の成果として、二〇世紀の憲法は、社会権を盛り込んだ。
生存権を保障するには、社会保障をしなければいけないし、教育を受ける権利を保障するには教育制度を国が整備しなければいけないし、労働基本権を保障するには、労働法の整備、その他のことをやらなければいけないように、国家が何かをしないと保障できないのが、社会権である。日本国憲法は二〇世紀に入ってからできた憲法なので、憲法を作るときに、これまでの世界における闘いの成果として、自由権だけでなく、社会権も憲法に盛り込まれ、近代憲法と現代憲法の特徴の両方兼ね備えた憲法として作られた。
「法の支配」と「法治主義」のちがい
「法の支配」は「法治主義」と対置される概念だ。
「法治主義」は戦前のドイツや日本が典型的だが、とにかく作られた法律は守らなければいけない、その場合、法内容は問わない。「悪法も法なり」、「とにかく法律を守れ」というのが法治主義であり、戦前の日本はこれだった。
これに対して伝統的にイギリス、アメリカの考え方は「法の支配」だ。これは、法は正義にかなっていなければいけないので正義にかなっていない法は無効にしなければいけないし、もし無効になっていないのであれば、ときに市民が法を破ってもいいという考え方だ。
日本は戦前は法治主義だったが、戦後の日本国憲法では、たとえば第九八条に、憲法が最高法規であって、これに反する法律などは効力を有しないという規定がある。第八一条では違憲審査権を規定している。裁判所が法律や政府の行為が憲法にかなっているか否かを判断できる制度があるように、日本は戦後「法の支配」型に変わった。
ナチスの教訓としての違憲審査制度
この違憲審査制が世界に広まるのは、第二次世界大戦後のことである。これを「違憲審査革命」と呼ぶが、これはナチスの経験が大きい。ナチスは国会放火事件などいろいろな謀略をやったが、形式的には選挙で多数派を握り政権を取る。この経験から多数派が常に正しいわけではないということを人類が学んだ。それで、多数派が暴走するときの歯止めとして、アメリカの違憲審査制度に多くの国が学んで自国の憲法にとり入れていく。日本国憲法には違憲審査制度が入っている。
いま日本人の多くは「法治主義」の発想から抜けられず、漠然と「法律だから守らなければいけない」と考えてしまっている。しかし、これは思考停止に陥っていると言わざるを得ない。「法の支配」の社会に変わったのだから、一人ひとりが本当に守るべき法律かどうか考えなければいけない。国旗国歌法にしろ、元号法にしろ、これらは悪法なのだから、批判していかなくてはならない。「法の支配」という考え方をしっかり持たなければいけないと思う。
よく「物事を民主的に進めなくてはいけない」とか、「民主主義は大事だ」という言い方がされる。しかしよく考えなければいけないのは、漠然と民主主義といった場合は、これは多数決主義であって、まさに「法治主義」と同じことになる。みんなで決めたから従うというのは、典型的な、「法治主義」で、「議会で作ったから守るべきだ」と考えるのはカッコつきの民主主義的発想だ。
橋下徹や安倍晋三の発想、つまり数の力で、中味を問わずに法律を作って、これにみんな従えというのは、典型的な法治主義的発想だ。
多数派に暴走させない立憲主義を
市民革命後の近代立憲主義が国王などの権力をしばることを目的としたことに加え、ナチス以後、第二次世界大戦後の現代立憲主義は、多数派の暴走を阻止することが目的になっている。これがまさに違憲審査制の考え方であって、国会や議会の多数決で決めたものであっても、憲法違反であれば、「多数決だから正しい」のではなくて、中味が間違っているから、それは違憲、無効と判断しなければいけない。その意味で、いまの立憲主義は、国家権力をしばることにプラスして、多数派の暴走を食い止めるという意味で使う。
安倍首相は立憲主義というと、国王をしばるのが立憲主義だなどと、平気でそういうことを言う。しかしそうした立憲主義は、現代国家においては非常に不十分である。たとえ国会でできた法律でも、その中味はわたしたち一人ひとりが問わなければならない。
天皇制についても、世論調査では圧倒的多数の国民が天皇制を支持しているが、だからといってわれわれは天皇制をこれからも漠然として続けていくのではなく、その多数派の考え方を問うていかなくてはいけない。こうした基本的な原理を頭に入れた上で、天皇についても考えていかなければいけないだろう。
[日本国憲法が抱える矛盾]
まず日本国憲法の規定を確認する。①大日本帝国憲法では万世一系の天皇が統治することになっていたが、戦後は主権が国民に存することを宣言し(前文・一条)、天皇の性格も神格性を否定した。天皇の権能については、四条で国政に関わる権能を否定した。象徴天皇制の規定について言えば、日本が戦争に負けた後に、中国・オーストラリアなどに天皇処刑論があった。しかしマッカーサーが天皇制を残した方が日本を統治しやすいと考え、天皇制は残された。それでも戦前のような国家元首=君主にするわけにはいかないので、実権のない象徴(シンボル)にしたのだ。
シンボルと言った場合、言葉の意味としては、抽象的・無形的・非感覚的なものを、具体的・有形的・感覚的なものによって具象化する作用、その媒介物という意味がある。たとえば、ハトは平和の象徴だと言う場合に、平和という抽象的なものをハトという具体的なもので表現している。憲法上、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるが(これも意味不明なものではあるが)、それを天皇という具体的な存在があらわしているという考え方だ。
当然この象徴は、君主や元首とは違うのだが、外務省は天皇を元首として扱っている。憲法学においては、日本で元首が誰なのかという問題については議論が分かれている。外務省のように、天皇を元首と考える人もいれば、元首は内閣総理大臣と考えている人もいる。これは憲法に元首の規定がないからだが、しかし国政に関する権能を有しない天皇が元首だというのはどう考えてもおかしい。君主や元首ではないのだから、天皇には象徴以上の意味はない、ということになる。しかし実際には象徴以上の意味を、この間持たせてしまっていることが問題で、憲法を逸脱していると言える。
平等原則と相いれない天皇の世襲
皇位の継承は世襲制になっている。具体的には皇室典範によって、継承の順位が決まっている。戦前は、皇室典範は議会の関与が及ばないものだったが戦後は国会の関与が及ぶものに変わった。しかしわたしが問題だと思うのは、せめて皇室法(GHQの原案ではImperial House Lowとなっていた――編集部注)という名称にすべきだったのに、「皇室典範」という名称をそのまま使用していることだ。また、いわゆる皇室法なのだから、国会でいくらでも変更することができる。皇位の継承順位にしても、法律さえ変われば女性天皇を誕生させることも可能である。この議論はまた後で言及する。
ただ、皇位の世襲は、本来であれば国民主権、民主主義、平等とは相容れない。次に誰が天皇になるかを、投票など、国民が意思表示をして決めるのではなくて、皇室典範で継承順位が決まっている。そして国民自身は絶対、天皇になることはできない。これは民主主義と平等原則に明らかに反する。反するのだが、天皇制という封建制社会の遺物、残りカスを日本に残してしまったので、憲法上は皇位の世襲を含めた天皇制は、国民主権や民主主義、平等の例外という解釈をする。ただ国民主権、民主主義、平等を徹底すれば、天皇制そのものをなくしていかないとおかしいことになる。
日本国憲法をどう評価するか
天皇を含めた日本国憲法の評価をわたしの立場から述べると、まず制憲過程から言えば、日本国憲法は大日本帝国憲法の改正という形でつくられている。憲法前文の前に「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」という「上諭」がつけられている。戦前は「上諭」という形で法律、勅令などを公布するときに天皇の裁可を表示した文章をつけた。日本国憲法もその方式をとっている。そして「上諭」のあとには御名御璽(裕仁の名前と印章)がある。そういう形でつくられているから、構成も大日本帝国憲法の構成を引き継いでおり、第一章も「天皇」にあてられている。
大日本帝国憲法に比べればもちろん改善されたが、やはり形式としては大日本帝国憲法の枠組みで改正されたに過ぎないし、なんといっても、天皇制が残ってしまっている。そういう意味では、日本国憲法の評価は天皇制という封建的遺物を残したブルジョワ憲法であると言えるだろう。
「護憲」を越えた 憲法議論を
日本国憲法に対するわたしの立場は、護憲ではなく、憲法改悪阻止だ。これ以上悪くはさせないが、「護憲」ではないので、将来的には第一章の削除など、憲法を改正して日本は共和制に移行すべきだというのがわたしの立場だ。
制憲過程から見れば、日本国憲法第九条は天皇条項とセットだ。天皇を残してもアジア諸国が不安に思わないよう、九条によって非軍事化したわけだから、九条を変えて日本を再軍備するのであれば、第一章をなくして共和制にしないと矛盾が生じる。
戦後、社会党などが「護憲」という表現を使ってきたのは非常に残念であるし、運動する側も「憲法を守れ」という言い方をするのは残念だと思っている。
しかしわたしは「護憲」ではないが、いまの政治状況で第一章をなくすような改憲を提起することは、無理だろうと思っている。いまはそういう議論はしないが、日本国憲法に対しては、絶対視するのではなく、少し距離を置いてみるべきだろうと考えている。
[「天皇の人権」論のおかしさ]
「天皇は選挙権もないし、結婚の自由もない。天皇にも人権を認めるべきだ」という人がいるが、それはまったくおかしな話だ。憲法学では「人権」と「憲法上の権利」は区別する。人権のなかに憲法上の権利は含まれるが、憲法上の権利=人権ではないのだ。
たとえば参政権は、概念としては人権ではなく憲法上の権利だ。要するに参政権を具体的にどうするのかは各国によって少しずつ異なっており普遍的なものではない。参政権そのものは普遍的であるが、参政権の年齢は国によって違う。これは憲法上の権利だ。
これに対して、精神的な自由や人身の自由は、憲法上の権利ではなくて人権だ。人権は、人であれば当然最初から持っているものだ。それを憲法が追認したにすぎないと考えるのが人権である。
天皇・皇族に人権がないのは当たり前である。あの人たちは国民にはない「特権」を持っている。特権を持っている人に人権を与えるはずはないのである。もし天皇・皇族の人たちが「人権が欲しい」と言うのであれば、話は簡単だ。天皇・皇族をやめればいいだけのことだ。
一部フェミニストからは「女性天皇を認めないのは女性差別だ」という意見がある。皇室典範は国会で変えられるので、女性天皇自体は皇室典範を変えれば簡単に実現する問題だろう。しかし人権論として言えば、天皇には人権がないのだから、女性差別をなくせば人権が保障されるということにはならないし、なんといっても天皇制という差別制度自体は残る。差別をなくすというのであれば、女性天皇を認めるという形ではなく、天皇制そのものをやめれば天皇家における女性差別もなくなるし、国民との関係においても天皇制という差別制度はなくなる。女性天皇を認めるべきだという議論を先行させるべきではない、とわたしは思う。
[天皇代替わりをめぐる問題点]
●明仁発言・皇室典範特例法の内容と問題点
二〇一六年八月八日のビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」は、要するに高齢になって象徴としての務めができないから退位を匂わせたということだ。憲法学ではよく、天皇というのは象徴にすぎない、ロボットのような存在だという言い方をする。自分であれをする、これをするという国事行為を決めることはできない。あくまで基本的には内閣の指示のもとで形式的、儀礼的な行為をするにすぎない。しかしあのビデオメッセージは政権側が生前退位に消極的だから、自分の考えを述べたという形であって、これはもうロボットではないことになる。明らかな政治的発言である。
この発言で明仁が言いたいのは、象徴としての行為を続けることが天皇の役割であるということだ。このメッセージの最後でも、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ……」ということを述べている。天皇制をどうするのか、ということは主権者である国民が決める問題なのだが、天皇がこれから未来永劫天皇制を続けるという意志が前面に出ているという意味において、憲法第一条に反する。
憲法学では、いわゆる公的行為、象徴的行為が合憲か、違憲かという議論がある。先ほど述べた天皇の国事行為以外、憲法に書いていない「天皇の私的行為」が認められている。天皇の私的行為とは、天皇が読書をしたり、テニスをしたり、田植えをしたりすることだが、それは憲法に書かなくても保障されている。私的行為でも国事行為でもない、公的な行為として、国内巡幸や、国会開会の際の「お言葉」、国体・植樹祭などへの出席などは、公的行為や象徴的行為と言われるが、これについては憲法学界としては、公的行為を認めないという二分説と、認めるという三分説とで議論が別れている。
これに対して明仁は、象徴としての行為をするのは当たり前だという観点から発言をしている。学界では二分説があるのに、この二分説を無視して発言している。これは明らかに政治的発言であり、明仁の一六年の発言は憲法違反だとわたしは思う。
よく、政治が不十分だから被災地に天皇が行くことは大事だということが言われるが、本来、政治がやらなければならないところを、天皇が補うという関係がおかしいのだから、明仁が象徴天皇制をつづけるために活動してきたという問題はまったく別の問題として批判的に見ていかなければいけないだろう。
●「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(二〇一七年六月九日成立)の問題点
問題点は先ほどと同様、公的行為違憲論をまったく無視しているということ、そして一六年の明仁の政治的発言を合憲化したということだ。
一条の「……国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している……」。わたしはまったく「敬愛」も「理解」もしていないのに、こういう形で一方的に決めつけている。天皇に批判的な国民をまったく無視している点で非常に問題だ。そしてこういう法律を日本共産党を含めて全会一致で通してしまうということがまったく情けない。自由党は、本来こういうことは皇室典範改正でやるべきだという立場で、議決するときは国会から出て行ったが、残った会派では全会一致で決めている。
●政府主催全国戦没者追悼式での明仁の「おことば」(二〇一八年八月十五日)の問題点
たとえば「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ……」を、『東京新聞』は一面で大きく取りあげて、安倍首相はこういうことを言わないのに、天皇はこういうことを言って素晴らしいという書き方をする。
明仁はこの後、平成という時代は戦争がなかった時代だという言い方をしている。これは「一国平和主義」の発想であって、日本が戦場にならなかっただけであって、日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などアメリカの戦争に加担してきた。
海外ではアメリカの戦争を助けてきたし、実際にイラクのように海外に自衛隊も出している。こういう「一国平和主義」は許されないとわたしは思う。アフガニスタンやイラクの人がこの発言を聞いたら、どう思うか。こういう発言をもって明仁を平和主義者だと判断するのは間違っている。
講演などで出向くと、会場からは「天皇は安倍に何か言わないのですかね」「天皇は安倍のことが嫌いですよね」と言われることがある。わたしはこういう状態をみて、さすが『水戸黄門』が好きな国民性だなと思う。権威にすがって、権威に何かを言ってほしいというのではなく、安倍を批判するのであれば、天皇に期待するのではなくて、国民自身の運動によって安倍政権を倒す運動をすべきだ。主権者・主体意識の欠如が、運動をやっている人のなかにもあるということは残念だ。
●徳仁天皇即位の問題点
衆議院「天皇陛下御即位に当たり賀詞奉呈」(二〇一九年五月九日)
ここでは「御代」という言葉を使っている。「御代」とは「天皇の治世」という意味だ。こういう大日本帝国憲法下のような発想の言葉を使っていることが問題だろう。参議院は五月十五日に、お祝いの言葉を議決したが、参議院では「御代」という言葉は使っていない。「令和の時代」という表現をしている。
問題点としては、即位直後の賀詞の議決は憲政史上初という問題がある。今回は日本共産党も出席して賛成している(一九九〇年十一月の時は反対)。その後の志位委員長の発言でも、憲法に天皇が規定されているから、これを守るという主張だ。以前の社会党と違って、「護憲」と言わずに「憲法改悪阻止」と言ってきたわけだが、日本共産党も後退していると思う。
残念ながら、憲法二一条に表現の自由があるのに、日本ではまだまだ「菊タブー」が残っている。これをなくしていかなければいけない。今日話したことなどをぜひ周りに広めて、活発に議論をしていってほしい。
【清水雅彦】
一九六六年兵庫県生まれ。明治大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。札幌学院大学法学部教授などを経て、現在、日本体育大学スポーツマネジメント学部教授。専門は憲法学。研究テーマは平和主義、監視社会論。戦争をさせない一〇〇〇人委員会事務局長代行、九条の会世話人。主な著書に、『治安政策としての「安全・安心まちづくり」』(単著、社会評論社、二〇〇七年)、『平和と憲法の現在 軍事によらない平和の探求』(共編著、西田書店、二〇〇九年)、『憲法を変えて「戦争のボタン」を押しますか?』(単著、高文研、二〇一三年)、『秘密保護法から「戦争する国」へ』(共編著、旬報社、二〇一四年)、『すぐにわかる 戦争法=安保法制ってなに?』(共著、七つ森書館、二〇一五年)、『日米安保と戦争法に代わる選択肢 憲法を実現する平和の構想』(共著、大月書店、二〇一六年)など。
(『思想運動』1042号 2019年7月1日号)
|
|