コロナと感染症法改悪の問題点
みんなの声を集め大きな力に!
五島真理為(医療カウンセラー/元HIVと人権・情報センター理事長)
七月十七日、東京・連合会館を会場に「コロナと感染症法改悪の問題点」をテーマにしてHOWS講座が開かれた。報告者は医療カウンセラーの五島真理為さん。報告の前半では、主に今次の新型コロナウイルス感染症に対する検査の問題が論じられ、後半では、コロナ感染でも如実に現われた、患者や病人に対する差別の問題を五島さんたちが取り組んできたHIV感染の問題に引きつけて論じられた。今号には後半の報告と、関連する質疑応答の部分を掲載する。 【編集部】
取り締りの対象とされる病人
今回のコロナの感染拡大をうけた感染症法の「改正」では、これまでに廃止された病人に対するさまざまな法律に共通していた、病気や病人を取り締りの対象とする性格が露骨に復活しました。病気になることは悪いこと、病人は健康な人にとっては迷惑な存在で、予防とは健康な人を「予め防ぐ」という捉え方です。
わたしの立ち位置は、ベーチェット病、重症筋無力症、それ以外にもいくつも病気を抱えた難病患者です。二十代前半に確定診断されたので、もう五〇年になろうとしていますが、この間、患者運動や医療に関する大衆運動に関わってきました。身体障害者でもあり、コロナの影響でカウンセラーとしては失職中です。
今日は、AIDSとの関わりを中心に、病人に対する忌避や差別の歴史と現実、病人に対する日本社会や法律がどう対処してきたか、紹介したいと思います。
病人は一番下に位置づけられた
一八九七年に作られた伝染病予防法は、一〇〇年間にわたり、コレラや赤痢、腸チフス、猩紅熱などを法定伝染病としてきました。コレラで多くの人が亡くなる中、各地で避病院が急増しますが、被差別部落のはずれに建てられたバラックの避病院が放火で全焼し、患者さんが全員焼死したという事実もあります。伝染病予防法の下で、避病院の入居者や患者は一番下の階級・階層に位置付けられ、健民健兵政策の中で、消滅させた方がいい、死んだ方がいいという対応をされてきました。
らい予防法は一九〇七年いらい九〇年の長きにわたり、きわめて感染力の弱い患者を社会から隔絶し、差別する根拠とされ続けました。
戦後まもなく一九四八年、性病予防法が作られました。米軍兵士もおり、そうしないと食べていけないセックスワーカーが増える中で性病の感染が広がりました。大阪では府立病院の改築時に、その一診療科である性病科は病院の中には入れてもらえません。病院から少し離れた小さな建物に性病の診療所があり、わたしはよくそこにAIDSの関係で伺いました。忌み嫌われる性病科は別扱いされ、性病予防法に関わる医療従事者も差別を受けていました。
患者を取り締まるエイズ予防法
そして一九八九年にエイズ予防法ができました。日本のAIDS第一号として神戸市の患者が報道され、感染拡大を恐れた兵庫県知事が国に要望してできたのです。
そのエイズ予防法の中に、診断した医師が感染者の年齢・性・感染した原因を知事へ報告し、知事が「必要な指示」を与えるため、警察手帳のような身分証を持つ医師等の職員が性行動などさまざまな内容を調査して、医師の「指示に従わず、かつ多数の者に…感染させる恐れ」がある者の氏名・居住地等を通報する、という内容があり、知事には伝染病予防法に準じて「隔離」する権限を与えていました。
このように、患者を取り締りの対象とする伝染病予防法、らい予防法、エイズ予防法に対して、患者と支援者からの批判や大きな働きかけ、AIDS薬害裁判などの運動がありました。そして一九九八年、「感染症の患者に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め…人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保」する、と前文に明記された感染症予防法ができたのです。同時に性病予防法、エイズ予防法、伝染病予防法は廃止、らい予防法は既に一九九六年に廃止されています。
新旧の感染症法の問題点
この感染症法の中にも、医師等の守秘義務違反に対する懲役または五〇〇万円以下の罰金に加え、届出等の義務違反と同様に、職員の質問や調査を拒否したり虚偽の答弁、都道府県知事の命令に従わなかった場合には、五〇万円以下の罰金の対象とする、取り締り的性格が含まれています。
本年二月、新型コロナ感染拡大をうけた感染症法「改正」ではさらに、「正当な理由がなく…入院しなかったとき」、「入院の期間中に逃げたとき」には「五〇万円以下の過料」という内容が加えられています。多くの反対で、患者を犯罪者とする「罰金」は「過料」と修正しつつ、取り締りは強化されています。
政府は新型コロナ患者の専用病床を増設するとか、中国が十日で一〇〇〇床の専門病棟を建設したような準備など、この一年半に何もやっていません。入院もさせてもらえず何万人もが自宅待機として放置される状況なのに「入院中に逃げた」者を処罰するとは言語道断です。そこには病人を犯罪者のように隔離して取り締りの対象とする、明治いらいの健民健兵の姿勢が貫かれています。
ヨーロッパやアメリカなど、いくつかの国で聞きましたけれど、ナチスは別として、病人を取り締る法律っていうのは他の国で聞いたことがありません。
「健民」でないと生きられない社会
そういう中で病人の心理としては「人に迷惑をかけている」という意識がうまれ、不安とか鬱に加え、失業、家庭崩壊、喪失があったりすします。
一番の問題は、患者が差別を受ける立場だということで、それが続くと、差別される自分自身を差別するようになり、自己のアイデンティティが壊されていきます。罪悪感に加え、ずっと引き籠って鬱状態となり自死する事例が増えてきます。私の友人がカウンセリングをしていたコロナ鬱の方も自死されました。
自己を差別し、被害者意識に加え、加害者意識を持つ方もHIV感染の場合はあります。そういう気持ちを患者が持つのには、病名が差別を生み出すこともあります。HIVについて最初についた病名は「男性同性愛病」とか「ハイチ病」で、そのため就職や学校生活など、さまざまな面で差別が生まれました。
ハイチ病にしろ、スペイン風邪、中国ウイルス、はてにはコロナ黄禍論など、そこには排外主義的なナショナリズムが創られていく要素があります。そういう中で差別が出てきて、患者さんが感染を隠したりするうちに、さらに感染が拡大していくという構図もあるのです。
ナチスが行なった精神的な病を持つ人たちの抹殺など、病気にたいする差別からナショナリズム、ファシズムへと繋がり、排除・弾圧・抹殺されるという、凄まじいことが歴史上あり、基本的には今もそれは続いています。
マスコミが創る間違ったイメージ
ハンセン病や結核、その他の伝染病に対して、さまざまな差別や偏見が創られ、今また新型コロナで新しい差別が出てきていますが、マスコミの影響も無視できません。
AIDSに対する差別には、マスコミによる間違ったイメージが創られた事実の一例として、「神戸市で瀕死の日本人女性患者! 全身を覆うカポシ肉腫、これがAIDSの恐怖の末期症状だ」という記事があります(別掲写真参照)。これは男性のカポシ肉腫の患者の写真です。、男性のカポシ肉腫の裸の写真を出して、これが瀕死の日本人女性患者だ、と報道しました。カポシ肉腫というのは、アメリカやヨーロッパでは見られますけれど、日本ではほとんどありません。わたしは一〇年くらい前までに、一〇〇〇人ぐらいのHIV感染者、AIDS患者の方々に関わりましたが、カポシ肉腫の方は二名の男性だけです。ところがこういう形でマスコミが意図的に煽動し差別を創っていったのです。
「病気で何が悪い」と言い続けよう
病気は不意に起こることもありますし、誰にでも起こるのです。それなのに今の日本社会では酷い扱いをうける。世の中の役に立たない者は生きてはいけないという風潮が、この社会にあるからなのだと思います。
わたし自身はこの間五〇年病気と付き合ってきて、診療拒否をされたり、いろんな差別を受けました。けれど思うのは、病気で何が悪い、ということです。役に立たないのが何で悪い、難病患者、身体障害者として、病気で何が悪い、と頑張ろうと思います。
さらにコロナでわたしは失職しました。わたしが関わっている患者さんは、「あんたのカウンセラーは県外から来ているから辞めてもらってください」と言われているのです。
人工呼吸器使用患者からの訴え
新型コロナ禍の中で、他の疾病で入院されている方も厳しい状況に置かれています。
子どもさんの病院では人工呼吸器の蛇腹の部分を、今までは必ず週一回交換していましたが、一か月に一回しか替えてもらえなくなったというのです。交換しないと不潔になり、感染症が生じる可能性がありますので、県議会議長に要望書を出したら、議会としても重要なことなので、ぜひ対応していきたいという返事をもらったという連絡が、この会場に来る直前に電話でありました。病院の医療従事者の誰もが、要望書提出に対して、「ありがとうございます、本当に言ってくれてよかった」と言われたそうです。自分たちも危ないと思っており、何かあったら自分たちの責任になるので、家族が直訴してくれて本当によかったと。
このように医療現場では、本当に厳しい状況に置かれています。
日本の医療体制は国際的に見て低水準
日本の医療の現状は惨憺たるもので、人口あたり医師数はOECD諸国中でも下から四、五番目ぐらいで、しかも高齢化しています。人口あたり医学部卒業生数では日本はOECDの中で最下位です。OECDの平均の約半分、アイルランドやデンマークの三割前後です。
医学部の卒業生が少なくなり、医療は厳しくなる中で政府がしてきたことは、「医療費亡国論」に基づく病院の再編統合です。不採算部門の公立病院や病床数を減らし、医療費抑制です。
さらに保健所については、一九九八年に九か所あった神戸市では、今は一か所しかありません。兵庫県では一九九七年に四一か所だったのが今は一七か所です。大阪市でも各区ごとにあったのが、今は全体で一か所という、凄まじい現状です。第四波で自宅療養中に全国で亡くなった四八人の七割が関西です。
さらに国は、地域医療構想で、病床数を減らす補助金として、二〇二一年度の予算に一九五億円を計上しました。自宅療養中に亡くなっていく人がいるのに、なお医療機関を削減しようとしているのが今の日本の状況です。
こういう状態は、サッチャー政権で医療が後退した英国や、財政難という理由で医療費と医療従事者の削減、病院の統廃合、病床数の減少が進められたイタリアと同じです。
自分の健康を知る権利がない日本
疾病に対する基本的理念としては、世界人権宣言二五条に「医療…健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利」が普遍的な権利とされ、日本国憲法第十一条では「基本的人権の享有」が、第二五条には「すべての国民は、健康にして文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなればならない」とあります。
日本の国は公衆衛生の向上に努めているでしょうか。疾病予防は発生防止(第一次予防)の上に、早期発見と早期対応(第二次予防)、治療とリハビリ(第三次予防)が共に重要なのに、まず早期発見が無視されています。
自分の健康状態を知る権利は一番重要な権利だと思うのですが、PCRや抗体検査など、感染状態について知る権利はきわめて不十分にしか保障されていません。
HIVの即日抗体検査を私たちNPOが無料匿名で始めた当初にも、たくさんの方が感染している可能性が判明しました。その後の抗原検査の結果でも陽性の場合はカウンセラーが病院に同行しました。
誰でも、自分の健康状態を知る権利、病気について学ぶ権利、自分がどういう治療を受けるか選ぶ権利があります。治療を受ける権利、または拒否する権利もあります。その最初の一番重要な、自分の健康を知る権利が疎かにされているのです。
新型コロナについては検査が早期発見、早期対応のみならず、他者への二次感染予防の前提です。パリでは公衆電話ボックスみたいなのに入って検査をするとか、アメリカやヨーロッパのみならず、わが国を除くアジア諸国でも検査体制が整っています。
その点、遅れているわが国でも、PCR検査や抗体検査を進めるために、声を大きくして言っていかなければならないと思っています。
〈質疑応答〉
――医療者、看護師等々の充足状況の問題点についても触れられましたが、医師の労働条件や教育の問題についてもご意見をお聞かせください。
コミュニケーションができない医師の教育
五島 まず、病院の統廃合などの流れに対して医療労働者の組合が十分に機能していないのも問題だと思います。医師たちがどれくらい働いているか、コロナ以前から、過労死寸前で働いている医師の労働時間が問題です。一方でナースが、けっこうしっかりと労働条件とかいろいろな面で、医師とは違って多少保障されているのは、やはり組合の力がすごく大きく背景にあるかなと思います。
医師の教育という点でいえば、患者側から見ると、基本的な対応がなってないということです。医学教育では座学が多くて、患者と出会う実習的なものが非常に少なくなっているのではないかと思います。ヨーロッパやアメリカの医師やナースは違います。日本では患者が一人の人間として対応されていないような感じがします。実習が十分になされないので、患者の気持ちへの理解とかコミュニケーションが成り立っていません。
大学や大学院にも非常勤で行くときにわたしは、患者側と医者側という設定でロールプレイを行なっていました。みんな目からうろこだと言うのです。逆にいえば実際に経験をされていないので、そういうロールプレイが役に立つのでしょう。教育現場で患者と医療従事者が出会う場面が本当に少ないので、患者が「人として寄り添われている」と感じるような医療者の感性が育っていないのです。
――この新型コロナの発生、PCR検査がぜんぜん進んでいないという状況をうけて、ぼくたちは改憲NO!96条改悪反対連絡会議として、新宿駅の前で、街頭宣伝や署名集めなどもしました。労働組合にも相当協力してもらいました。しかし、医療現場の問題で言うと、教育現場、労働現場もそうですが、ずっと押し込まれてしまって何もできないような状況になっている。
今回のコロナの問題でも医療労働組合に対し何か具体的な働きかけをしようと、都立病院の労働組合に話をしに行ったりしましたが、表には出られないというんですね。叩かれるから。情報を提供することはできるけど、と。それでも何かできないかと模索しています。
五島さんが、HIVと人権・情報センターを立ち上げられた時も、そんなに労働組合などの運動が強かったわけではないでしょうけれど、運動を進める中で行政をも動かすような成果をあげた。現場で闘う中で、こういうことから始めるべきだということがあったら教えてください。
HIVと人権・情報センターの活動から
五島 一九八八年にHIVと人権・情報センターという、当事者が声を張り上げていこうというNPOを立ち上げたのは、エイズ予防法をつぶそうというのが最初でした。保健所の対応などの実態調査も行い、カウンセラーとして電話相談も始めました。世界エイズデーにあわせて、全国各地や海外も含め三六時間電話相談を行なうと何千件、何万件とかかります。それらをまとめて、しばしば記者発表をしていました。こうして、多くの声を集め、発表しいくことが大事です。
また、いろんな県で中学校、高校に出かけて「若者による若者の啓発」をしようと、各方面に働きかける運動を展開しました。そこでも参加者みんなの声を吸い上げて、それを発表していくということを重視しました。やがて、厚労省も文科省も学校でエイズ教育を重視するようになり、エイズ対策の一つの柱となりました。
不十分なこともありましたけれども、当事者や人々の声を吸い上げ、記者発表するなど、ある程度の啓発になっていったかもしれません。
そのうちに厚生省の対応を待っていてもしょうがないと思って、全国各地で匿名無料の即日抗体検査を、カウンセリングと併せて始めました。それに多くの人が来るわけです。保健所の検査には行かないけれど、わたしたちがやるとみんな来るんです。いろんな人がわたしたちのメンバーの中にはいます。LGBTQの人もいるし、同じ立場の人がいるので検査に来やすいからです。NPOがどんどんやり、抗体検査数がすごく増えたら、今度は保健所が追随するようになり、わたしたちが当初は協力して同じような方法で始める、という状況でした。
国際的な当事者の連帯
一九八五年に第一回が開催され、東京の第一〇回までは毎年、それ以降は隔年に開催されている国際エイズ会議というのがあります。会議には学会や各国の機関、患者・支援者などのNPOも参加します。わたしも第一〇回では分科会プログラム委員を担当したり、NPOとしては毎回、各国の開催地に同僚たちと参加しました。
公式プログラムの他に、参加者間のさまざまな交流の機会もあります。製薬会社も宣伝のために大がかりな企画や展示を行ない、それに対して患者、支援者側も、「なんで薬がこんなに高いのか」と、デモをやる。闘いの中で、意見を交換する。そういうことを通して、患者が直面する課題、各国の運動の動向などがわかります。
今は国際会議もオンラインとかでやらないとしょうがないのですが、いろんな国の状況を見ていかないと、自国を見るだけでは政府の言いなりになってしまいます。
世界中が直面している新型コロナについても、国際的な共通の課題を交換し、いろんな国の状況を知り、互いの意見を発表し、聞いていくという機会も可能ではないかと思います。その際、それぞれの取り組みの背景にある大衆運動としての連帯も重要なのではないかと思います。
大衆運動を創っていこう!
このごろは対面はできませんから、わたしは電話相談ばかりですが、この一年で七二〇件のカウンセリングや電話相談を行ないました。そういうふうに電話でもどんどん声を聞いて吸い取って、それを発表していくことが重要と思っています。
差別は次々と創られてきます。今、コロナをめぐる差別が、一番新しい差別として創られています。わたしも県外の感染多発地域の者だと差別され、失職したのですけれど、新しい差別ができてくるときは大きな力が伴います。
AIDSのときもそうでしたけれど、新しい差別に対しても闘っていかないと、それに圧倒されてしまうことになるのです。今は、ようやく差別に対する認識や闘いもあらわれてきました。電話相談などを通じて、こういう声がある、こういう現実があるというのを出していく、また患者や遺族の方たちのメッセージを受け止め、まとめていくということが大事だと思います。このままでは世界で力をもっている者たちの思い通りになっていく危険性が非常に大きいので、やっぱり今は、声をあげ、運動を展開していくことが大切と思います。
いろんな形で今、動かないと「三密を避ける」とか自助ばかりを喧伝し、体制側は動きません。PCR検査をしろと署名運動をすることも大事だと思います。やっぱり少しでも大衆運動を創っていくということです。
そしてできること、たとえばPCR検査でも抗体検査でもどんどん進めさせ、その結果を発表させていく、そういうふうに大衆運動を創っていくというのが重要かなと思います。
五島真理為 難病患者として一九七五年以降、ベーチェット病友の会大阪府支部の設立や大阪難病連代表委員、全国患者家族集会全国代表理事などを務め、エイズが社会問題化した一九八九年以降は「HIVと人権・情報センター」の専任カウンセラー、理事長などを務め、薬害エイズ裁判支援にも携わった。現在も医療カウンセラー、スピリチュアルケア師として全国各地の支援活動を続け、二〇一九年に保健文化賞を受賞。差別と人権に関わる視点から、現下のコロナ禍でも、感染症対策の基本である検査を意図的に避ける政府を批判する。
主な著書 『いのち、響きあって―病気や障害は来た道、行く道』『AIDSをどう教えるか』(いずれも解放出版社) ほか
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