HOWS講座
ロペス-ニカラグア臨時代理大使を迎え開催
サンディニスタ人民革命の歴史と現在


 十二月四日、HOWS講座に、クラウディア-ペレス・ロペス臨時代理大使を迎え、講演をいただいた。最初に映像「サンディニスタ革命」の上映があり、報告の後、受講生との質疑応答が行なわれた。講演の内容を紹介する。
【編集部】

サンディニスタ人民革命の始まり

 サンディニスタ人民革命は、一九二六年にサンディーノ将軍によって組織された国家主権を守る軍隊の結成に始まり、一九三三年の介入軍の追放、アナスタシオ・ソモサ‐ガルシアによる、サンディーノ将軍の暗殺、ラテンアメリカで最も犯罪的で腐敗し、血に飢えたソモシスタ独裁として知られる猛烈な独裁政権が誕生するまでの、ニカラグア国民の長い闘いの結果である。
 このような状況の中、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が設立され、この組織を通じて、サンディーノ将軍の遺志のもと、サンディニスタの原則とマニフェストが再び取り上げられ、何世紀にもわたって抑圧されてきた国民が一致団結し、一九七九年に独裁政権に対する勝利を獲得した。この勝利により、国民は初めて民主的、社会主義的、統一的な力を手にしたのである。
 勝利の喜びも束の間、一九八〇年、ニカラグアは再び帝国主義勢力の介入を受け、資金供与され、近隣諸国の野営地で訓練された反革命武装集団によって、五万人以上の死者と数千人の戦傷者を出した新たな戦争が始められ、経済は破壊され、国が封鎖された。

国際司法裁判所は米国に賠償を命じる

 このような状況の中、ニカラグアはハーグ国際司法裁判所に訴訟を起こし、米国はニカラグアに対し、この強いられた戦争による、経済の不当な破壊と被害に対して、一七〇億ドル(約一兆九三〇〇億円)の損害賠償を支払うよう命じられた。
 一〇年におよぶ対立は、一九八九年のサポア協定によって終結した。ダニエル‐オルテガ率いるサンディニスタ政権と反革命勢力の指導者たちは、英断を下して和平協定に署名した。反革命軍は武装解除を義務付けられた。そして、サンディーノ将軍の時代同様、サンディニスタはアメリカの介入計画を打ち破ったのである。
 経済破綻や、戦争継続の脅しなど、戦争による消耗もあり、一九九〇年の総選挙では、ニカラグア国民は恐喝や脅迫により、保守派のビオレタ‐バリオス‐デ‐チャモロ候補に投票することを決めた。
 FSLNは選挙で敗北し、選挙で失った権力を新政権へ引き継ぎ、その後二回の選挙で新自由主義政権が誕生した。その特徴は、独裁者への追従、外国の利益への忠実な対応、国有財産の民営化、腐敗、国民が獲得した社会的利益の放棄、教育、保健、インフラの後退、識字率は低下の一途をたどり、最貧層は置き去りにされた。これらがソモサ政権が行なった政策であった。

サンディニスタ人民革命の第二章始まる

 一七年後の二〇〇七年、サンディニスタ戦線は、自由で民主的な総選挙によりダニエル‐オルテガ将軍が勝利して政権を獲得した。社会的、政治的、経済的、教育的、健康的な権利の国民への返還、つまり一九八七年から施行されている憲法で定められた権利を国民に返還した。サンディニスタ人民革命の第二章が始まったのである。
 その後の一四年の政権運営を通して、現政府は成果をあげた政策のほかに、保健、教育、貧困や極貧、栄養失調撲滅への対策、幹線道路の建設など、さまざまな分野の改革に着手し、驚くほどの成果をあげた。
 医療に関しては、ニカラグアでは誰もが受けられる無償診療制度ができて、一般的な診療、マザーハウス、特別療養者ケアハウス、母乳バンクなど、多様な医療環境が発展している。さらに、疫学研究所、子宮頸がん診断の細胞研究所などもある。
 インフラ面では、この一四年間で二八〇〇キロメートルの新しい道路と四二の新しい橋が建設された。
 エネルギーに関しては、ニカラグアは二〇一九年に九七・〇二%の国内供給率を達成している。
 経済においては、中央銀行によれば、ニカラグアでは、二〇一〇年から二〇一七年にかけて、平均五・一%の経済成長を遂げた。
 また、世界経済フォーラムによれば、ニカラグアはジェンダー平等の観点から、世界でもっとも評価の高い上位五か国に挙げられている。
教育の無償化と同時に、教師を奨励する新しい給与政策も打ち出された。また、給食や小さな子どもに対する「愛のプロジェクト」、リュックサックの無償供与、高校卒業時の祝い金制度、農村部の中等教育や学校農園などもできた。
 治安の面では、ニカラグアはラテンアメリカでもっとも安全な国の一つであり続けている。
 国際的にも認められているサンディニスタ政権の功績のいくつかを述べる。
 国連児童基金(UNICEF)は、育児に関する政府の功績を評価した。
 世界経済フォーラムが発表した「グローバル・ジェネレーション・ギャップ・レポート二〇二〇」では、ニカラグアは五位にランクされている。
 世界銀行は、ニカラグアのマクロ経済の成長と、貧困削減への取り組みを強調した。
 米州開発銀行(IDB)は、ニカラグアのエネルギー分野での成功を称賛した。
 パンアメリカン保健機構は、政府が推進している家庭と地域社会の健康モデルを評価した。
世界経済フォーラムの「世界競争力指数二〇一一〜二〇一八」によると、ニカラグアはラテンアメリカでもっとも道路が整備されている国のランキングで五位に入っている。
 国連食糧農業機関には、貧困削減と包括的開発における進展を評価された。

二〇一八年の企て ソフト・クーデター

 このように、さまざまな発展を遂げたにもかかわらず、ニカラグアは再び帝国主義勢力の攻撃を受け、二〇一八年ニカラグアでクーデターの計画が発生した。このなかで、他の国ぐにでも行なわれたソフト・クーデターのすべての過程が見られた。
 この攻撃は、二〇一八年四月十六日に承認された政府による社会保険庁の改革に対する、抗議の形で始まった。しかし、政府案は、右派勢力や私企業の改革案に比べ、国民、つまり年金受給者にとって有益な案であった。
 反政府勢力および少数の個人グループは、「平和的で自発的な」抗議活動を装い、この事案をクーデター実行に利用した。そして、国際的なメディア企業や、国内メディア、SNSなどに情報を売った。
 国内外のメディアは、ニカラグアの情勢について、嘘や、間違った情報を作り出すために、このクーデター未遂を利用し、騒動の真実は歪曲された。
 さらに、国中で道路封鎖をし、軽犯罪者を「学生」として登場させ公立大学を占拠した。中米では常に安全性の高い地域を誇ってきた国で、これまで起こり得なかった、あらゆる犯罪を行なったのである。
 つまり、ある地域の国民を常におびえさせ、メディアを通して別の地域の国民に事実をゆがめてその様子を見せることが目的であった。
 一方、国際的には、「平和のための抗議」という虚構を広め、国で起こった事実ではなく、歪曲した情報を作り出した。
 具体的には、次のような事実が除かれた。
・国家および民間資産の損害。
・道路封鎖、誘拐、公務員および民間労働者、警察官、歴史的な活動家、親政府人物、一般市民の殺害(警察官は、二二名が死亡、六〇〇名が負傷)。
・ニカラグア市民に使用された心理的テロ行為。
・中米間の長距離輸送用の大型トラック約五〇〇台の拘束。多くのトラック運転手たちは、生活必需品も足りないような状況で三か月ほど拘束された。

クーデターを阻止するために

 関係当局の英断により、このクーデターを阻止することができたのである。
 拘留者には恩赦が与えられた。政府のモットーである和解と国民の団結を尊重し、和解のために、非再発性を前提として、恩赦法が成立したのである。
 国民と革命を守るために、社会的利益を守るために、国民議会は法律を議論し可決された。
 法律第一〇四〇号「外国代理人規則法」。二〇二〇年十月十五日可決。NGO団体や、外国代理団体に対し、海外からの資金による活動および財務報告書を、ニカラグア内務省に提出するよう求められる。
 法律第一〇五五号「独立、主権、平和のための自決権についての国民の権利擁護法」。二〇二〇年十二月二十一日施行。

二〇二一年十一月の総選挙

 今年二〇二一年は、ニカラグアにとって選挙の年であった。相変わらず一部の国民や国際メディアは、この選挙プロセスを不当なものとするために、フェイクニュースを作り続けている。
 国際的なメディアは、資金洗浄や反逆の罪で捜査され、ニカラグアの法律に違反して、心理戦、嘘、経済の不安定化を引き起こすために帝国主義勢力から資金提供を受けて新たなクーデターを起こそうとした勢力が、ニカラグアの法律に従って裁判を受けていると人びとに信じさせるために、全体的な情報操作を行なった。かれらは野党のリーダーや選挙の候補者になりすまし、サンディニスタ政権に対するネガティブキャンペーンを行ない、クーデター未遂を再現し、選挙を委縮させようとした。
 いかなる公的な選挙においても、候補者になるには、公職選挙法に基づいた要件を満たす必要がある。
 いくら「政党」だと主張しても、法人であると言っても、登録がもれていたり、どこの政党にも所属していなければ、必要要件は満たされない。だから、その者たちは公的選挙の候補者としては登録できないのである。
 そのため、資金洗浄や反逆罪などで捜査対象となった人は、公的選挙の候補者にはなれない。かれらの誰一人として最高選挙評議会に登録した人はいない。
 去る十一月七日、ニカラグアでは、さまざまな野党候補者も出馬し、投票率も高く、自由で透明な選挙が行なわれた。
 この選挙には一五の政党が参加した。FSLNと同盟関係にある政党もあれば、同盟関係のない政党もある。憲政自由党(PLC)、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)、ニカラグア・キリスト教の道(CCN)、ニカラグア自由同盟(ALN)、共和のための同盟(APRE)、独立自由党(PLI)の六つの党が得票を得た。総数四四七万八三三四票、投票率六五・二六%。
 二七か国から二三二名の国際選挙同行参加者と、六〇〇名の国内外のジャーナリストが参加した。
 今回の選挙では、FSLNを中心とする「ニカラグア統一凱旋同盟」が七五・八七%の得票率で勝利し、国民の大多数が過去一四年間の「サンディスタ政府」の活動を支持していることが示された。
 この選挙は初めて、透明性があり、自由で機動的なプロセスで、安全かつ公共の秩序を乱すことなく、市民の祭典かのように行なわれた選挙である。そして、ニカラグアの歴史上初めての、介入組織に監視されない、自由で主権のある選挙であり、歴史的な進展であった。
 それにもかかわらず、ニカラグアの現実に関するフェイクニュースや歪曲された情報は、ニカラグアの選挙プロセスを不当とさせ続けるために、国際的なメディアで流され続けている。
 ニカラグアの現状としては、民族主権、独立、自決権を守るためのプロセスを進めている。サンディニスタ政権は、共通の利益のための国家という歴史的なプロジェクトを継続し、五年間の人材開発計画を通じて、経済、教育、健康、国民のための社会プログラム、極度の貧困対策を強化し、推進していく。