HOWS講座報告
社会主義「新発展段階」へ権威付け
中国共産党「歴史決議」の読み方

岡田充(共同通信客員編集委員) 
                      

 昨年十一月に開催された中国共産党第一九期六中全会では、共産党創立一〇〇周年という節目にあたって、第三の歴史決議「党の百年奮闘の重要な成果と歴史的経験に関する中共中央の決議」を採択した。これに関する日本メディアの報道は、「強国実現 突き進む習氏」「世界地図を塗り替える野望」といった新「暴支膺懲」とも言うべき悪意に満ちたものばかりであった。HOWS講座(一月二十九日)では、米中対立の現状とともに、今年第二〇回党大会を迎える中国社会主義の「新発展段階」をどうみるかについて岡田充氏が報告した。以下に岡田報告の後半部分を全文掲載する。なお報告の前半部分については、ウェブサイト「21世紀中国総研」のなかの「海峡両岸論」第一三四号「米中対立、『現在地』からみた形勢 矛盾目立つバイデン外交の3論点」(一月十日)を参照されたい。
【編集部】

 中国共産党は、習近平総書記を毛沢東、鄧小平と並ぶリーダーとして権威付けを図っている。「権威付け」が必要な理由は何か。窒息寸前の資本主義に代わり、中国社会主義が「新たな発展段階」に入ったとの現状認識に基づき、長期目標に設定した「共同富裕」実現のため「一四億人の意思統一」が必要なためである。今世紀半ばに「中華民族の復興」と「社会主義強国」の実現を目指す習指導部にとって、「新たな発展段階」の意味を考える。

「歴史決議」の意味

 中国共産党は二〇二一年十一月八~十一日に開いた中央委員会第六回全体会議(六中全会)で、「建国の父」毛沢東、改革開放政策を提唱した鄧小平に続いて、習を「新時代」の指導者とする「歴史決議」を採択した。これによって二〇二二年後半に開く予定の第二〇回党大会で、習氏が総書記三期目入りを果たし、長期政権への道が開かれたのは確実になった。
 「歴史決議」の特徴をまとめれば次のように要約できる。①毛沢東は「中国を立ち上がらせ」、鄧小平は「豊かにし」、習近平は「強国にした」と、三指導者を位置付け、②従来の二つの歴史決議(一九四五、一九八二年)は、過去の党内路線対立に決着をつけ、次の時代の指針にする内容、③今回は「二つの百年」(二〇二一年と二〇四九年)を連結し、「共同富裕」という長期目標を設定した。建国百年に「世界一流の社会主義現代化強国」、「中華民族の偉大な復興」を実現する将来に向けた意味が強い、④羽根次郎・明治大学准教授は「階級か民族か」では、「民族」に重心移動し階級闘争の記述は消失したとみる。「敵」は国外の「カラー革命」勢力と国内外のテロリストなどである。
 階級闘争については「八二年歴史決議」は、「既に主要矛盾ではない」としながらも「長期的に存在し、激化する」可能性があり「階級闘争消滅論」にも反対する立場を表明した。その後、天安門事件と冷戦終結、ソ連圏崩壊という世界史的転換を経て、今回の歴史決議の認識につながるのである。

個人崇拝、終身制などを批判

 続いてメディアは歴史決議どう伝えたのかを概観する。『朝日』社説(二〇二一・十一・十二)などを引用すると①「習氏は二〇一八年に憲法を改正し、二期一〇年とされていた国家主席の任期制限をなくした」②「第三の歴史決議」と「共同富裕」の時間表から、「終身制に向けた布石」(『日経』二〇二一・十・二十)、③「権力の集中」の弊害は、文化大革命の反省から出てきたのに、習指導部は「その教訓をどう考えるのか」、④「個人崇拝とも思える異様な礼賛」――などの論点を提起している。
これをまとめると、歴史決議は「個人崇拝の禁止、集団指導制、終身制の禁止」に逆行(『日経』二〇二一・十二・二十九)と要約できる。まず個人崇拝。今回の「歴史決議」は、個人崇拝につながるような習礼賛の表現は抑制している。SNSが普及し情報があふれる時代に「個人崇拝」は時代錯誤と言っていい。
 『朝日』(二〇二二・一・十三)によると、習は二〇二一年七月末から一七日間、動静が不明だったが、この長い「夏休み」期間中、恒例の北戴河に集う「北戴河会議」には行かず、「歴史決議」の文章を推敲していた。決議の草稿を綴ったとみられる側近で中央政治局常務委員の王滬寧も習に付き添っていたと思われる。
 第二は「集団指導制」の否定。鄧小平は一九八二年に廃止された主席制に替わって「総書記制」を採用した。その下で胡耀邦、江沢民、胡錦濤と、九〇〇〇万人党員を束ねる共産党は、三代にわたり「集団指導制」の下で統治を指導してきた。
 習近平時代になり「主席制」復活のうわさが何度も飛び交った。旧知の上海の学者は集団指導制を「無責任体制」と断じている。その理由についてかれは「胡錦濤時代には総書記は政治局常務委員の“筆頭委員”に過ぎず、石油、金融、不動産など各利益集団を代表する常務委員の調整役になってしまった」と説明した。
 内部告発サイトとして有名な『ウィキリークス』は二〇一〇年、共産党最高指導部に通じた北京の消息筋が米大使館員に漏らした情報として、集団指導に関する政策決定プロセスを次のように暴露した。
 「共産党中央政治局は集団指導の色彩が強い。台湾問題や北朝鮮問題など重要な政策決定では二五人の政治局員全員が参加し、その他の問題は常務委員(七人ないし九人)が決定する。政治局内部は『合意決』(多数決ではない)が採用されている。総書記だけは最も長時間話す機会を与えられているものの、すべての委員に否決権がある」「政治局員のビジネスの背景が、往々にして政策決定のカギを握る。例を挙げると、国家安全担当の周永康(終身刑判決受け収監中)は国営石油業界と深い関係にあり、賈慶林(前政協主席)は不動産人脈が豊富。胡錦濤の娘婿は『新浪網』(ネット・メディア)のトップで、温家宝夫人は中国の宝石業を掌握するといった具合……」。
 これが事実なら、共産党トップは各利益集団の調整役にすぎないことになる。まるでメガバンクの取締役会のようだ。

「終身」否定した習近平

 いっぽう、「終身政権」については、中国政府が発表した『中国民主白書』(二〇二一・十二・四)は「国家指導部が法に基づき秩序正しく交代」との表現で終身制を否定しているのはあまり知られていない。習自身も二〇二一年夏の党重要会議で、「法に基づく交代」に触れている。今後、終身制を法律に盛り込んで正当化する「抜け道」を作る可能性はあるかもしれないが、これら規定や発言が、終身制を否定しているのは明らかである。
 中国は、二〇一二年からの習時代に入ってから「法治」を進めるため、法制度の整備に乗り出した。日本では「銃使用容認の悪法」の典型とされる「海警法」(二〇二一年二月施行)は、海警局に関する法律がなかったことから、米沿岸警備隊や海上保安法を参考に制定した内容である。  習の「権威付け」について補足するなら、日本を含めどの国のリーダーも、程度の差はあれ当然ながら「権威付け」をしている。毛沢東は政敵を倒すため文化大革命を発動し個人崇拝をやった。習の権力基盤は少なくとも現在は盤石であり、かれに挑戦する勢力は党内外にはない。だから習への権威付けを、「権力闘争の文脈」から説明するのは無理がある。
 歴史決議について『日経』と『読売』は昨年末、党機関紙『人民日報』(二〇二一年十二月九日付)に、鄧小平、江沢民、胡錦涛らの名前を挙げる一方で、習の名前を一切挙げず無視した「不穏な論文」が掲載されたと伝えた。『日経』(二〇二一・十二・二十二)は、論文掲載は、権力集中を志向する「毛・習」と、改革開放を旗印にする「鄧・江・胡」の二グループ間の路線闘争に発展するという見立てをした。
 だが問題の『人民日報』論文は、歴史決議に関する連載の「解説」記事の一文である。論文のタイトルの「改革開放は党の偉大なる覚醒の一つ」は、歴史決議の習演説自体からとったものだ。その解題だから、習の名前が出てこなくても不思議ではない。一〇日付け以降の連載解説記事には習を礼賛する記事が何度も登場しており、「路線闘争」説は、見立て違いだ。

経済格差拡大に危機感

 鄧小平が掲げた改革・開放政策の初期には、「社会主義か資本主義か」の路線闘争が存在した。それから四〇年余り。中国は社会主義の看板を掲げながら、グローバルな資本主義経済に参入し、世界第二位の経済大国に躍り出た。それを「看板社会主義」とも言う。
 欧米諸国は、中国で市場経済が開花すれば、中国も民主と自由、人権、法治などの「普遍的価値」を共有する体制に転換するという期待を抱いてきた。期待の根底には、資本主義と民主主義はセットであり、民主主義が育たなければ資本主義も開花しないという固定観念があったと思う。しかし、中国は、政治的自由や民主なしに驚異的な発展を遂げた。資本主義と民主主義の「セット論」は論拠を失ったのである。
 同時に、中国では資本主義顔負けの経済格差が肥大化していく。中国富裕層の上位一%による富の占有率は、二〇〇〇年の二〇・九%から二〇一五年に三一・五%まで上昇した。格差は日本やアメリカより大きい。アンバランスな発展と歪みが目立つ社会にメスを入れなければ、共産党一党支配への不満が爆発しかねないとの危機感が次第に強まってゆく。

市場経済理論の変化

 中国共産党はこの四〇年、社会主義と市場経済をどのように折衷させてきたのだろう。一九八七年の第一三回党大会では、趙紫陽総書記の下で「社会主義初期段階」が提起された。生産力の低い「初級段階」は長期にわたるとされ、発展のために資本主義的要素を導入できる理論が編み出され、社会主義と市場経済は矛盾しないことが確認された。
 それ以来、歴代指導部は、「成長が支配の正当性の源」とし、成長に必要な安定した国内、国際環境の実現を一党支配の最重要な任務とするのである。
 江沢民時代の第一四回党大会(一九九二年)は「社会主義市場経済」という用語が編み出された。江沢民は、私営企業主の入党を認める「三つの代表」を提起し、共産党は「人民の党から国民の党」へと脱皮したと論評するメディアもあった。二〇〇二年からの胡錦涛時代には「科学的発展観」が提起され、経済格差が目立ち始めた中国社会の矛盾に対し、胡は調和のとれた社会を意味する「和諧社会」の実現を訴えた。
 これに対し、習近平はどのような社会主義理論を打ち出したのだろう。加茂茂樹・慶応大教授によると、二〇二一年三月の全人代では二〇二〇年十一月の五中全会での「第一四次五か年計画草案」にはなかった「新たな発展段階」という言葉が入った。習は、中央党校での研修会で、その内容について、中国の現状を、社会主義初級段階における「新たな発展段階」と規定した。
 社会主義初級段階は「長期にわたる」と位置付けられてきたから、「新たな発展段階」とは聞き捨てならない表現だ。平板な「初期段階」が、次のステップに移行し二〇四九年には「社会主義強国」になるという漠然とした印象を与える。習は二〇二〇年秋の「五中全会」で、「新発展段階」を、「社会主義近代国家を総合的に構築し、第二の百年目標に向けて前進する段階」と位置付けた。さらに二〇一七年の第一九回党大会の党活動報告では、「新たな発展段階」について、「社会の主要矛盾」に関する新解釈を打ち出している。
 従来の党文献は、主要矛盾を「人びとの日々増大する物質的文化的需要と、遅れた社会生産の間の矛盾」としていたのに対し「人びとの日々増大する豊かな生活に対する要求と、現実に存在する不均衡で不十分な発展との間の矛盾」に変化した、と位置付けるのである。

新発展段階の意味

 「新たな発展段階」の下では、党指導部の主要任務が変化する。それまでは「生産力を高める」だけでよかった主要任務が「素晴らしい生活への需要を満たす」に転換する。より質の高い任務として「新たな生活の質の改善」「人民大衆の充実感、幸福感、安全観への配慮と向上にある」と設定、「経済発展だけを求める時代は過ぎ去った」とみるのである。
 中国社会主義理論にも詳しい瀬戸宏・摂南大名誉教授は、「習近平新時代中国特色社会主義」の「新時代」の意味は不明確としつつ、「ある程度理解できるのは、習が総書記に選出された二〇一二年以降は、一九七八年十二月の「三中全会」から始まる改革開放時代は終わりを告げ、新しい時代が始まった、と共産党指導部は考えている」「習体制移行以後、中国共産党の文献に社会主義の語が目立って増えてきた」とコメントしている。
 いっぽう、中国経済を専門にする伊藤亜聖・東京大学准教授の見方は異なる。伊藤は「新たな発展段階」という規定が生まれた背景として、「一人当たり国内総生産(GDP)が一万ドル(約一一六万円)を超え、絶対的貧困(中国政府の一〇年基準で年間純収入二三〇〇元以下)を撲滅したこと」を挙げた。そして構想には「鄧小平路線の修正と継続の両側面」があり、社会主義を強調するだけでなく「市場メカニズムと民営企業の貢献を認めるという改革開放路線を正当化するロジックは維持された」とみる。
 伊藤が指摘するように、習は歴史決議の中で「改革開放は党の偉大なる覚醒の一つ」との表現で、鄧小平理論を肯定評価しており、瀬戸の「改革開放時代は終わりを告げ」という見方は踏み込みすぎであろう。
 在京の中国外交筋は「新発展段階」の意味について筆者に「人民の要求は生活の質向上や環境問題などますます高度化している。『共同富裕』と第二の夢の実現のため、共産党と人民を奮闘させ団結させるのが目的」と解説した。

「共同富裕」という長期目標

 次に説明しなければならないのは、「新段階」の長期目標として設定された「共同富裕(ともに豊かになる)」というスローガンだ。これは二〇二一年八月、習が打ち出した格差是正に向けた新方針である。詳細は別の拙稿を参照されたい。「先富論」(先に豊かになる)を説いた鄧小平も、最終目標は「共同富裕」と強調していた。先の伊藤は「新たな発展段階論が現状認識、共同富裕論が目標、国内大循環論(筆者注 国内市場を戦略資源にする自立自強の経済を目指す理論。輸出主導の国際大循環論と対の関係にある)がその手段」と、概括している。 「共同富裕」の具体策を挙げれば、日本の固定資産税にあたる不動産税の導入、配当やぜいたく品への課税や公的年金制度の見直しを通じて分配機能を高め、社会主義の「平等社会」に近い社会を実現しようとする内容だ。
 最低限度の保障(ナショナルミニマム)や、大企業による寄付、公共サービスの平等化など、社会主義的原則に回帰する色彩が濃い。世界市場への参入を継続して利益を得ながら、国内では再分配を中心に、社会的平等への「転換」を進めようというのが、「共同富裕」だ。
 「体制転換」を進めれば、グローバル化した巨大IT企業や既得権益層の反発や抵抗も出てくるだろう。場合によっては社会的混乱も覚悟しなければならない。方針転換に、多くの人の意識がついていけない事態は十分予想される。
 これら新課題に取り組むため、歴史決議は習に「党中央の核心、全党の核心」という地位を与えた。歴史決議で思想統一し、団結を強化しようとの狙いだ。新段階に移行する上でも、習を「権威付け」する必要があるのだ。
 習は、中国社会主義の将来について二〇三五年に「社会主義現代化を基本的に実現」し、建国一〇〇年の二〇四九年には、「中華民族の偉大な復興」と「世界一流の社会主義強国」を実現する二段構えの目標を設定した。日本を含め世界の先進資本主義国で、中長期的な国家目標を設定できる国はない。
 これに対し習近平は、中国社会主義が到達すべき目標を事前に設定したという意味で、「鄧小平と並ぶ指導者の地位を獲得した」ということになる。二〇三五年に「社会主義現代化を基本的に実現」した時、「社会主義初級段階」がどのように位置づけられるか、今から注目していい課題である。

(注1)羽根次郎「歴史決議をどう見るか」(『思想運動』二〇二二・1・1)
(注2)加茂具樹「全人代に見る習近平指導部の自信と警戒」(『外交』Vol・66 Mar/Apr2021)
(注3)瀬戸宏「中国共産党一〇〇年とその行動指針」(『国際主義』Vol・4 二〇二一・12)
(注4)伊藤亜聖「中国の『新発展段階』注視を」(『日経』二〇二二・1・10)
(https://www.nikkei.com/article/)
(注5)岡田充「脱新自由主義で共通する米中両国 『共同富裕』は文革再来ではない」(『海峡両岸論』第一三〇号 二〇二一・9・13)
(http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_132.html)