HOWS講座報告
いま労働者・労働組合が起ちあがるために
労組反戦行動実行委員会の活動から
須田光照(全国一般東京東部労組書記長)
庄子正紀(全国一般・全労働者組合書記次長)


ウクライナ戦争はいっこうに終息の兆しが見えず、核戦争に発展する危険性さえ指摘される。国内に目を転じれば、この戦争を利用した「ロシア悪玉」宣伝、中国、朝鮮の「軍事的脅威」を喧伝するプロパガンダが効を奏し、反動的な「国防意識」が急速に人民のあいだに浸透した。こうした状況に乗じて、岸田政権は、軍事費を二〇二七年度にGDP比二%(現行の倍)にする大軍拡、「敵基地攻撃能力」保有を可能とする安保戦略の大転換を盛り込んだ、安保三文書の改定を強行した。壊憲と大軍拡の動きが加速するなか、十二月十日のHOWS講座では「労働組合・労働者の反戦闘争」と題し労組反戦行動実行委員会の活動を中心に報告と討議を行なった。講師は当実行委員会の庄子正紀氏(全国一般・全労働者組合書記次長)と須田光照氏(全国一般東京東部労組書記長)にお願いした。お二人の報告と議論を通して、具体的な実践に根ざした、机上では語り得ない明確な説得力をもって階級的労働運動の必要性、反戦運動の先頭に労働組合・労働者が立たねばならない必然性が示された。ぜひ読んでそれぞれの活動の場で活かしてほしい。なお、労組反戦実行委員会の中心を担った全水道東京水道労働組合の方にも声をかけたが、当日は組合の行動と重なっていたため参加がかなわなかった。 【編集部】

司会 みなさん、お集まりいただきありがとうございます。本日司会を努めます藤原晃と申します。日頃は神奈川県の高校で数学を教えている神奈川県高等学校教職員組合の一組合員でもあります。まず、最初に、講師のお二人に自己紹介をしていただきます。よろしくお願いします。

自身の活動歴を振り返って

庄子正紀 わたしは全国一般・全労働者組合(全労)の書記次長をやっています。千代田区や中央区を中心に活動する地域合同労組で輸送、出版、介護など一人でも加入できる労働組合として活動しています。いつも全労ユナイテッド分会の解雇撤回闘争などでHOWSのみなさんにもご協力いただいています。
全労は一九六九年に全臨時労働者組合(全臨労)として発足しました。わたしは一九七〇年生まれなので、生まれる前年になります。先人が弾圧を受けながらも職場を守ってきたから今の自分たちがいられる。その闘いに敬意を払いながら、その意志を今後に引き継いで活動していきたいと思っています。 
もともとわたしは「新聞輸送」というところに就職して組合活動にも加わっていきました。その前は夜間の定時制高校で働きながら、父が経営していた土建業でアルバイトをしていました。当時そこではイラン人の労働者が多かったのですが、自分には日当一万円ぐらい出ているのに同じ仕事をしているイラン人には五〇〇〇円と半分ぐらいでした。ほかにも土建という職場ではありがちなのですが、日常的に罵声を浴びせられることもありました。わたしはどちらかというとイラン人と仲良くつきあっていたので自然と「労働者は同じだろう」という感覚をもちました。
一九九五年当時、全国一般東京労組にFLU(Foreigner Labours Union)というのがありまして、「手伝わせてくれ」と駆け込みでスタッフになりました。そこで働いているうちに労働組合とは何かを学びました。そして「新聞輸送」に労働組合もあるし、いっしょにやらないかということで、今に至っています。
今日お配りした資料の一つに「埼玉農民運動の建設者 同志黎子君を憶う」という祖父庄子銀助の文章があります。わたしもまったく知らずにいたのですが、祖父は埼玉県の農民運動を闘った、県史にも登場する活動家だったようです。最近、父が亡くなり遺品を探していたら、祖父についての資料が出てきました。一九二七年には富士紡績で女工のあまりに酷い労働環境に衝撃を受け、労組を組織してデモして逮捕されたりしているんですね。その闘いに敗北したあとに、農民運動の同志として渋谷黎子さんと出会います。この女性は福島の裕福な家の出なのですが、小作人を奴隷のように扱ういっぽうで放蕩と贅沢三昧で暮らす父親を見て、社会主義にも傾倒していきます。彼女はいたたまれずに東京に出てきます。そこでみずからを農民としても鍛えあげながら、農民組合の活動に身を捧げていくわけです。しかし一九三四年九月に警官からの酷い暴行を受けてそれがもとで死亡します。その死を同志として痛む追悼文を獄中で祖父が書いていたのです。印刷してお配りしたのはそういう資料です。わたし自身、理屈よりも感覚的なところから労働運動に関わってきました。祖父も貧しい経験から労働運動や農民運動に向かったようなので共通するところがあると思います。わたしは感覚的なものを大事にしていきたいと思っています。
須田光照 全国一般東京東部労組(東部労組)の書記長の須田です。まずHOWSのみなさんには争議や反戦行動を支援していただき感謝しています。十一月六日に行なわれた定期大会へ心のこもった連帯のメッセージをいただいたことにも感謝いたします。
東部労組の結成は一九六八年で、わたしが生まれる三年前です。本部は葛飾区で東部地域を中心に活動していて、われわれはそこを「なわばり」と呼んでいます。地域合同労組という形で一人から加入でき、主に中小零細や非正規雇用の労働者を組織しています。基本的に職場ごとに支部を置き、労働組合がない職場に一つでも多く労働組合をつくることを使命としています。
わたし自身は職場で労働組合をやってきたのではなく、二〇〇六年に労働相談のボランティアの募集があって、それに応募したのがはじまりでした。つまり、労働運動の外から入ってきたのです。
実は、大学を卒業してから六年間、『朝日新聞』の記者をやっていたのです。あそこはユニオンショップではないのですが、労組の組織率がたいへん高く、管理職からも加入を勧められるようなところでした。今思えば若かったからか頑として入らなかったんですね。そういった人間が今は労働運動をやっています。半分は反省していますが、もう半分は『朝日新聞』労組に問題があるとも思っています。
わたしは生まれも育ちも大阪ですが、大阪市にある釜ヶ崎で、一九九〇年ちょうど大学一年のときに、警察官の汚職などをきっかけに日雇い労働者たちが暴動を起こしました。それまでは社会問題に関わることはなかったのですが、なぜか引き寄せられるように現場に行ってよくわからないままに石を投げたりしたんですね。こんなに怒っている人たちを見るのがはじめてだったのです。それまでは「かわいそうな人たちがいるな」という程度の同情的な見方しかしていなかったのですが、受験競争のなかで友達を蹴落としても成功するんだというそれまで置かれていた価値観にどことなく矛盾を感じていた自分を魅了するものがあったんですね。わたしにとって、今へとつながる価値観へと変わった起点でした。
東部労組の取り組みはいくつもあるのですが、一年前にH_OWSで報告した大久保製壜支部の闘いの続きを話します。墨田区に大久保製壜という壜の製造販売を行なう会社があるのですが、そこで二〇一九年七月七日に重大労災事件が起りました。多段積みした壜のケースが荷崩れして、労働者がその下敷きになったのです。一つ間違えば死亡事故につながる大事故で、三年間の争議を闘い、この八月に解決のための「協定書」を結びました。ぼくらはこの闘争は「勝利」と評価します。
多段積みの規制が労働安全衛生法にはあるのですが、具体的に何段まで、高さは何メートルまでというようには決められていません。事故以前から別の倉庫を用意することによる多段積みの解消を訴えてきたのですが、会社側はコストがかかるからと労働者の命よりも利益優先の姿勢を変えませんでした。しかし闘いの結果、段数と高さを規制させ、会社側が組合員も含めた定期的な安全パトロールを実施する内容の協定を結ばせることができ、一区切りつきました。 
職場と地域の労働者の闘いによって突破口を開けたという点で意義がありました。ただ、金儲け優先で労働者の安全を無視するのが資本の本質で、協定書だけでは安心とまでは行きません。労使の力関係が不利になればこれも形骸化してしまいます。ですから、これからの実践にかかっています。その実践のひとつとして、毎年、重大労災が起きた七月七日に、社前集会をやることを決めました。
前回のHOWSでは、「フードパントリー」の構想についても報告しましたが、二〇二二年の二月から毎月一回その活動に取り組むことになりました。地域の労働者に無償で食料を支援するという取り組みで、今月で一〇回目になります。
単なる人助けではありません。貧困の背景には必ず労働問題があります。解雇、労災、賃下げ等々。地域労組ですから、地域との関係性を積極的につくっていき、当人が立ち上がるきっかけをつくり、組織化の方策として取り組みたいと思っています。
今は一回あたり約二〇世帯に食料品を配布しています。取り組む中で、一人親世帯、外国人労働者、障がい者など社会的に弱い立場に追いやられている層が増えていることを実感します。しかしすぐに「労働相談します」とはならず、なかなか踏み込んだ関係になってはいかないというのが課題です。組織内での議論では、「助ける側・助けられる側」と関係を固定するような単なる弱者救済活動であってはならない、という思想的な問題意識も共有されています。当事者が立ち上がり、相互に支え合うことが必要なのです。今は、そこで準備作業を利用者といっしょにやる中で、徐々に人間関係をつくっている段階です。もしよければ、みなさんには食料品提供をお願いしたいです。
司会 実はわたしも一九七一年生まれの同世代でして、年代的には「階級的労働運動」などと口にしているのは非常に稀な事例です。知り合えたというだけで嬉しいのですが、なぜそんな世代の人間が階級対立の矛盾にめざめたのかという具体的事例も含まれていました。
次に10・21国際反戦行動に至るまでの過程についてお話しいただきたいと思います。


10・21国際反戦行動への道のり

庄子 二月二十四日のウクライナへのロシア軍の侵攻を受けて、東部労組がすぐに反戦行動を水道橋の駅頭で行ないました。その行動の素早さに驚きました。命が粗末にされることに対して傍観者であってはいけないという立場で、労組が軸になって行動することに共感しました。
そして、成田でユナイテッド闘争団の就労闘争が毎月あるのですが、片道四時間近くかかるので船橋あたりで酒を飲むと帰れなくなってしまうことがあるんですね。そんな感じで三月にたまたま須田さんの家に泊まらせてもらったときに、「よしやろう」という話になり、わたしは全労に話を持ち帰りました。東部労組は「階級的労働運動」という軸があるからこそ、こういうときに機敏に反応できるのだと思います。ただ、全労も、東部労組と比べると思想的軸という意味では少し弱いのかもしれませんが、一人ひとりが感覚的ではあれ意見を持ちながらやっていくという経験を日常的に積んでいます。今は労働組合が中心で反戦をやろうという重要な分岐点にあると思います。
戦争になってしまえば労働者が真っ先に犠牲にされていきます。その中でも公務員は戦争協力を法律でも義務づけられています。その観点から東水労も五月の連休明けに要請行動をいっしょにやろうということになったのです。
労働組合として戦争に反対する意味は「命を大切にする」ということに尽きます。一部の資本家の利益のために、労働者が殺し殺されに行くことがあってはならない。それが過去の世界大戦の教訓でもあります。大久保製壜の重大労災事故への闘いも、ユナイテッド闘争も、生存権を奪い人生をめちゃくちゃにする経営者の横暴を許さないという闘いです。それは国家権力の暴走に対しても職場や地域から声を上げるということにつながるわけで、何よりも労働組合にはその力があります。
最近ニュースでよく耳にする福祉施設や保育園、学校、長距離バスなどでの事故や事件に対しても、労働組合が沈黙せずに果たすべき役割があると思います。国家が暴走するときにも労働組合が食い止める力になるのだ、という確信を忘れてはならない。わたしたちは地域で寄ってたかって抵抗していくのですが、それを国際的に広げれば、国際連帯になるわけです。
須田 二月二十四日の八日後に、とにかく街頭に立とうと執行委員会で話し合って決めました。ビラもつくらず「戦争反対」と書いたプラカードだけを持ってです。実は執行委員会の内部でもいろいろな意見が出て、この戦争をどう見るかではまとまりませんでした。しかし、労働者、民衆が殺し殺されている事実は間違いない、傍観することはできないという点では一致しました。あとのことは行動しながらまた議論することにして、議論をしている間に機を逸すのでは駄目で、労働者として主体的に見て考え行動するというのが最初の段階です。
いろいろな議論がありました。この戦争をどう見ていけばよいのか。難しいのがロシアに対する糾弾だけでいいのかという点です。親しい労組や市民団体でもウクライナの国旗を掲げてロシア大使館への抗議行動を行なうところもありました。それに対してわたしは「どうなのかな」とは思っていました。ロシアの軍事侵攻自体には反対である、仮にアメリカを中心とする策謀への対抗だったとしても軍事侵攻は間違っている、という線は明確にしつつも、西側帝国主義諸国、NATOの問題、という戦争の最大の原因について主張すべきだ、という考えでした。しかし、マスメディアや、普段いっしょに活動をしている人たちの一定の部分とはこの戦争への反応が違っていました。そこで「全労はどう考えているの?」と聞きました。それで、十分にはすり合わせはやっていないのですが、とにかく戦争反対でやろうということで、東部労組と全労でいろいろなユニオンに呼びかけ、五月一日に反戦メーデーを行ないました。そして、その打ち上げの場で、やはり戦後の反戦運動を引っ張ってきたはずの官公労が見えてこないなということで、全労に繋がりのある東水労に声をかけて、労組反戦行動実行委員会をつくり、五月、七月、八月に水道橋駅前での情宣活動、そして10・21の行動へとつながりました。

反戦活動の先頭に労働組合が立つ意味

須田 労働者が反戦活動に取り組むのは、「労働者が社会の主人公」という言葉に集約されます。東部労組の中でも、なぜ労働組合が憲法だ反戦だと政治の問題に首を突っ込むのだ、という意見はあります。やればやるほど労働問題で助けてほしい人が逃げていくという意見もある。職場の問題に集中しろという言い方もある。
もちろん、東部労組に入ってきた人たちもきっかけは職場の問題です。残業代不払い・解雇の危機・賃下げ・パワハラ・セクハラなどであって、たしかに反戦、憲法問題をやりたくて入ってきた人はほとんどいない。ギャップはあってあたりまえです。しかし、それぞれの職場で起こる問題は遡れば資本主義、資本家による搾取、ほぼすべてが資本と賃労働の関係に根ざしています。そんな堅苦しい言い方はしていないかもしれませんが、戦争も同じ根っこです。
これが戦争をどう見るかというのにもつながっています。
労働者同士がなぜ殺し殺される関係に引きずり込まされていくのか、国は違っても争うような理由も関係にもないのにどうしてか。それは、金儲けをしたい資本家とその政治的代理人である国家権力が、戦争を画策するからです。
ですから、それぞれの残業代、解雇等の問題が解決すればそれでイイというものではないんだ、ということを丁寧に話していくしかないと思っています。それでわかってくれる人もいれば納得してくれない人もいる。納得してくれない人のほうが多かったりもする。それでも説得は続けるしかない。とにかく、ぼくらのやり方ですが、東部労組は反戦も憲法問題もやる組合なんだということを見せていく、そこで疑問を投げかけてくれる人があればしっかりと対話していきます。
そこで労働組合の任務とは何かという問題にもなっていきます。もちろん職場の問題が第一義的にあるのは当然ですが、それにとどまるのではなく、資本主義の構造に起因する全社会的問題にも反対していく。その任務が労働組合にはある。それが「労働者が社会の主人公」という言葉の意味のはずです。
東部労組は二〇一六年の大会から「ゼネラル・ストライキが打てる強大な全国団結を準備しよう」を方針に掲げています。非現実的とも言われますが、長期目標としては持たないと駄目なのではないでしょうか。わたしは、そこに向けて一歩でも二歩でも進んで行くべきだと考えています。
東部労組をそういう組合にしていかないといけない、そうでないと自分の問題が解決したらさようならという組合になってしまう。あらゆる産業を止めるゼネストをやれば戦争を止められる。労働組合にはその力があるのです。
いろいろなオルグまわりをしていると、総がかり行動の「19日行動」に合流すればよいのではないの? なぜわざわざ労組反戦実行委員会を? という疑問をぶつけられることがありました。もちろん市民運動との連携も大切です。しかし労働組合が、労働者が先頭に立つことが必要だと言いたいのです。戦争の根源には資本主義の問題がある、そして職場で苦しめられている労働者だからこそ本当に戦争に対して怒ることができるし、これを止めることもできる。職場生産点を止めれば戦争を止めることができるわけです。たとえば、庄子さんの「新聞輸送」であれば戦争を煽る新聞は配達しないということは、労働者一人ひとりが本気になれば可能なのです。それぞれの職場で戦争を止める運動をつくっていかなければなりません。
庄子 今の話を聞いていて大事だと思ったことがあります。それは職場の安全を守れなければ生存を脅かされるということで、それが労働組合の原点だということです。
衝撃的だった事件に二〇〇五年四月二十五日のJR西日本の福知山線の脱線事故があります。一〇七名の犠牲者を出しました。脱線するような急カーブに高速で突っこんで行ったのですね。その原因は「日勤教育」を受けていたからなのです。「隠せばダイヤの遅れを取り戻せる」という安全とは真逆の「教育」を受けさせられていた。さらに事故の背景にダイヤ変更、APS(安全装置)の解除があることも明らかになり、JR西日本の歴代経営者四名は過失致死障害に問われました。しかし全員無罪になっているのです。つまり、悪いのは経営者ではなくて、運転手だということにされてしまった。
さらに衝撃だったのが、事故当日の朝にJRの職員たちが事故現場を素通りしていったという事実です。人命よりも勤務時間を優先する。同僚のミスによる重大事故よりも仕事を優先して人命を守ろうとする行動すらとらない。これは無関心であることを通り越して、会社のロボットですよね。労働者間のこの関係性が事故の原因でもあるし、社長が無罪にされても許してしまう。これはすべての労働者に問われている。こういったことの連続に慣らされていくことが問題だと思います。たとえば、はるか彼方の海にぽちゃんと落ちたミサイルに「Jアラート」を鳴らして、列車すら停める、建物に逃げ込めということもそうだと思うのです。沖縄をはじめとする米軍基地では、日常的に墜落事故や部品の落下が実際にあり命の危険すらある。基地の近くに生活する人たちのほうがはるかに危険なんですよね。それでも「Jアラート」で思考停止させられて、戦争にも慣らされている。自分たちの労働の意味に無関心で、「自分さえ良ければ」という考えが、人の命も省みないし国家による戦争できる国づくりに慣らされていく考え方につながっていくのだと思うのです。
司会 日常的で具体的な職場での労働運動と反戦の課題が密接に関わっているのだということが明らかにされたと思います。では次に、10・21当日の行動への感想や反省を話してもらいたいのですが、いかがでしょうか。

総評反戦運動の良き伝統を引き継いで

須田 一八〇名結集して実行委員会ではやってよかったという感想が述べられました。
あれだけ多くの労働組合・労働者が集まったということは反戦平和意識がまだまだあると見なければいけない。戦後日本の労働運動をどう総括するのかという課題はあるし、反戦意識が弱くなっているのは危機的事実だけれども、いっぽうで、敗戦後から続いている労働組合の反戦運動は消えてはいないし、継承しなければならないと思っています。
東部労組は独立系労働組合としてやってきたので総評には加盟していないのですが、総評のいい部分(まずい部分もある)としては反戦運動への影響として残っています。総評は朝鮮戦争のときにGHQの肝いりでつくられたのですが、翌年には「鶏からアヒルへ」として知られるように、御用組合ではなくてきちっとした労働運動をやっていこうとなったわけです。そのきっかけが平和四原則(全面講和、中立、基地撤去、再軍備反対)です。国労でも左派が執行部を握るという流れがありました。戦後日本の民衆の中にある「二度と戦争は嫌だ」という反戦意識にはたらきかけたのです。「国際反戦デー」に合わせた今回の10・21の行動もその延長線上にあります。 
それで、「国際反戦デー」というと一九六八年の新宿騒乱ばかりが注目されがちですが、発端は総評が一九六六年に呼びかけた世界で初めてのベトナム反戦を掲げたストライキでした。集会などには五二〇万人の労働者が参加し、日教組が半日スト、自治労、都市交、全水道が一時間ストを打ちました。翌日には日教組の本部など二百数十か所を強制捜索されます。当時の委員長など三六人が逮捕され、その後四人が起訴・五人免職、停職は三六六人で、全体で一二万人が何らかの処分を受けています。その後、自治労にも年末までに免職二五人をふくむ七万人の処分が行なわれています。
そこには、「自分の給料を上げろ」という主張だけではなく、「ベトナムの戦争を止めろ」という主張がありました。たしかに総評や民同の反戦運動の弱点は「戦争に巻き込まれるのは嫌だ」という被害者意識に依拠した点にあると思っていますが、当時の声明などを読んでいると、けっしてそれだけではありません。「ベトナム戦争に加担するな」「戦争の加害者になるな」という、日本の基地がベトナムの人民を殺す出撃拠点になっているという、加害者としての意識がありました。公務員なのだから逮捕されることはわかりきっていたのにそれでもやろうとなった背景には、加害者としての意識があったのです。日教組の「教え子を再び戦場に送るな!」というスローガンにも現われている、日本の労働運動にある反戦運動の意義をただしく継承発展させていかなければならないと思っています。
庄子 オルグまわりを毎月のようにやって二八団体に賛同してもらいました。政党ですと新社会党、社民党、立憲民主などで、共産党には呼びかけていないのですが組織の枠を超えて賛同してもらうことが必要だと思っています。自分たちは日頃何やってんだというぐらい小さいところにいるのですが、そんな井戸の外に行くきっかけは何はともあれ行動だと思います。そんな中で必要とあればゼネストでもやるんだと、一八〇名が集まったのにはたいへんな意味がある。今、コロナの状況の中で、あるいはそれを口実に訴えることを諦めている。職場にも自分の中に閉じこもってしまう、自分は自分だとトラックのなかに籠もって行動に移せない人は多い。そんな中で良心が集まった闘いでした。だれだって戦争をやろうという人はいない、反対しても無駄だと言う声が多いのですが、実際に止められるんだと思い始めたのは、ナチスの占領下でフランスの労働者がゼネストを打ったということを知ったときですね。ナチスの兵器工場を放棄してパリが解放されたという話を聞いて感動しました。
自分たちの命のためだったら、自分の職を辞してでもやるという気構えがあるんだと思ったのです。ロシア革命でドイツとの停戦が結ばれたのも労働者の闘いだと思います。実は目に見えないけれども、あらゆるところで戦争に反対する主人公が登場すれば止められるのだと。確かにいざとなってできるのかと突きつけられれば「生活もあるしな」となるかもしれませんが、しかしそうやって来た歴史があることを知ると勇気を奮い立たされもするわけです。
司会 つい先ごろわたしも組合の会議の場でゼネストを打たなければ憲法改悪も戦争も止めることはできないと発言したところです。本当にそのとおりだなと改めて勇気をもらいました。
さて近年の労働組合は組織率をどんどん減らし、そのなかにあって庄子さんや須田さんは未組織労働者の組織化に奮闘されています。いっぽうで大企業労働者とその組織もあるわけです。そんな社会状況にあって活動のなかでの困難と可能性を語っていただくと、ちょうどいい時間になりますのでよろしくお願いします。

活動の困難と可能性

須田 今後ということではまずは3・3反戦春闘首相官邸前行動への参加のお願いです。実行委員会の中でも、とりあえずは10・21をひとつの目標としてきたのですが、ウクライナの停戦も見通しが立っていないし、何よりも日本の大軍拡、憲法の改悪、核武装への策動がますます推進されている中にあって、ここでやめるということになりません。
労働組合は反戦運動を闘っていくしかないでしょう。
春闘をどう捉えるかもいろいろあるでしょうが、賃金・労働時間だけでなく、反戦という国際的な課題を取り上げていくことが総評の10・21の闘いを継承していくことです。近年の労働運動といえばいろいろありますが、排外主義との闘いがこれから大きなテーマとなっていくでしょう。実は十一月の東部労組の定期大会で、二〇〇二年から二〇年間掲げ続けていた方針を削除しました。それは「朝鮮民主主義人民共和国の拉致犯罪を糾弾しよう」というものです。わたしは二〇〇六年に東部労組に入ったので、このスローガンがすでにあったわけですが、「まあ拉致自体は問題だよな」という程度の認識でした。しかし、今、庄子さんが言われたように「Jアラート」がガンガン鳴らされ、朝鮮学校が授業料無償化から排除され、街ではヘイトスピーチが叫ばれ、小池都知事が加害の歴史を否定していく。
ウクライナとロシアの戦争だけではない。どうやって自国政府の戦争政策に反対していくのかといったときに日本でいえば、中国や朝鮮への排外主義とどう対峙していくのかという課題があります。部分的に切り取って「ミサイル」だ「拉致」だと糾弾していくことが、ぼくらの組合員に、労働者に、どういう影響を与えるのかを考えないといけません。
執行委員会の中でも喧々諤々の議論になりましたが、削除で一致し、大会でも丁寧に説明して承認してもらったのでした。
労組反戦行動実行委員会の今後の中でも、もちろんロシアとウクライナの停戦は当然必要なのですが、日本政府が進める軍事費の倍増、敵基地攻撃能力の保有という中国・朝鮮に対する戦争準備をやめさせていくということを掲げなければならない。組合員の中にもある朝鮮や中国への差別意識や蔑視とも逃げずに、やりすごさずに対峙していくことが必要であって、ゼネストを起こすためにも、われわれの意識を変えていくという学習を行動と同時にやっていかなければならないという問題意識があります。
庄子 朝鮮関係の問題という意味では、無償化排除の問題で朝鮮学校と交流してきたりしたのですが、ここ数年はコロナでできなくなっていました。今後も引き続きやっていきたい。生徒たちが政治に翻弄されてしまうことがないようにしたい。本来、祖国の文化を学びたいというのはあたりまえのことだと思うのです。コリアンスクールでは朝鮮語は教えません。朝鮮学校だけが朝鮮語を、朝鮮の文化を学べる場なのです。学校を見学に行った時に「アリラン」を歌っているのを見ると、なぜこの子たちにそんな仕打ちをするのかと思うわけです。拉致被害者にも一四歳の子どもたちがいたわけですが、なぜそんなことになるのかと考えます。人びとが犠牲にされない政治を考えるなら、まずは日朝の国交正常化を築かなければいけないはずです。労働組合の活動としては程遠いかもしれませんが、差別してはいけない、という活動は今後もやっていきたい。
労働組合の組織化ということでいえば、最近特に職場が荒んでいると感じます。それは労働組合不要論が下からつくられているからではないでしょうか。労働組合があるから残業規制やダブルワークができない。若いうちは無理してでもいくらでも仕事してもっと稼ぎたいのに、労働組合が邪魔しているという考えが蔓延している。それを政府や経済界、資本家も目をつけていて、ウーバーイーツに代表される個人請負という働かせ方が職場単位でもかなり浸透している。これが労働組合を排撃していく動きに下からなっていくのではないか。それが怖いと思っています。労働組合とは障がいがあっても、歳をとって無理ができなくなっても、その人に合わせて尊厳をもって働ける職場が大事で、どんな状況でも働ける職場を実現していく役割をもっている。それを邪魔者扱いしていく思想的な攻撃が行なわれていて、労組自体が邪魔者にされる状況が作られてしまっています。
これとの対抗軸を自分たちが作っていかなければいけません。定年退職が六五歳になって、さらに七〇歳にまでと言われている。六〇以上になると雇用調整金が入り、主婦やパートの働き方にされてしまう。何十年と働いてきたベテランが、付け足し的な位置になり、同僚から疎外されていく。介護の職場でもプログラム化されてリハビリで外に連れ出せば元気になることがわかっているのだけれども、政府の点数制では安全対策を口実に診療点数を引かれてしまう。自分たちが尊厳を持った集団、仲間、個人を大事にできる関係が求められると思います。 【文責=本紙編集部】

(『思想運動』1084号 202311日号)