HOWS講座 福島で廃炉作業に従事した池田実氏が報告
原発作業員も声を上げるときだ!

郵便局定年後除染と廃炉作業に従事

 五月二十一日に開催されたHOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)講座のテーマは「震災五年後の福島はいま」。講師は、福島第一原発で廃炉・収束作業に従事した池田実さんである。
 一九五二年生まれの池田さんは二〇一三年に都内赤羽郵便局を定年退職した。二〇一四年の冬から夏にかけて福島県浪江町で除染作業に従事、さらに同年夏から九か月間、福島第一原発の構内において廃炉作業を行なう。その体験を今年二月、『福島原発作業員の記』として出版した。現在は全国各地をまわって原発作業員の労働条件の改善と脱原発を訴えている。

福島にむかった池田さんの思い

 「五年前に三・一一を体験してから定年までの二年間、郵便配達をしながら、東京でのうのうとしていていいのだろうか、と思い続けていました。東京に電力を送ってきた福島が原発事故で大変なことになっている。何とかしたいという思いがあった」。
 そこで、福島で廃炉作業に関わりたいとハローワークに通い出す。
 「でも六〇歳に達したという年齢のこともあって、なかなか採用されません。除染作業なら口があるという。面接もなしでした。浪江は自然の豊かな山里ですが、人は避難してまったくいない。イノシシなんかが歩いている。そんな中で、河川敷や土手の草木を刈り取り、フレコンパックに詰めていく。そういう作業指示なのです。しかし汚染された土壌まで取らなくては除染にはなりません。何のための作業なのか自問せざるをえなかった。これが有期雇用のかなしさなのですが、仕事に一区切りついたら体よく雇止めになった。そこで改めて廃炉作業にチャレンジ、今度は年齢不問で採用されました。三次下請けです」。

何重もの下請け構造の下死亡事故も

 「原発構内はまったく違う世界。除染作業のときの放射線量はマイクロシーベルトで計っていた(それでも東京などより一〇倍くらい高いのは当たり前)のが、構内はミリシーベルトの単位になります」(一〇〇〇マイクロシーベルトが一ミリシーベルトにあたる)。
 自分で撮影した写真や原発構内の手書きの地図をスライドで表示してのわかりやすい説明が続く。
 「わたしが福島原発にいた期間中の去年一月、二日続けての労災死亡事故が起きています。第一原発でタンクから落下事故の翌日は第二原発で機械に頭を挟まれて。どちらも亡くなったのは勤続二〇年以上のベテランでした。事故が多いのは、ひとつには何重もの下請け構造で違う会社がたくさん入っているから。同じ現場で働いていても、雇われている会社が違うと横のコミュニケーションがない。危ないと思っても声をかけあうということがない。東京電力の正社員の姿はほとんど見えず、下請け会社だけでやっています」。
 「しかも、ほとんどの作業員は保険に入っていません。そのほうが給与から保険料を引かれなくていい、というような雰囲気なのです。危険手当は除染作業のときは一万円ついていたのが、廃炉作業では四〇〇〇円だった。三次下請けだから途中でどんどん抜かれていくのでしょう」。
 「一号機、二号機の事務棟で散乱物を分別して片づける作業を皮切りに、三・四号機のホットラボ(強力な放射線を安全に扱える実験室のこと)での化学薬品の分別、原子炉建屋から毎日排出される高濃度汚染水を運ぶ管の近くでの作業……線量の高い場所では携行する線量計がすぐ鳴り出します。わたしの外部被ばく量は除染作業の四か月と原発構内での九か月を合わせて七・二五ミリシーベルトと算出されています。これは白血病の労災認定基準の年五ミリシーベルトを超えているわけで、健康への不安はたしかにあります」。

チェルノブイリのケースと比較して

 「作業員も自分たちの声を上げるときです。日常の労働条件、福利厚生、それに生涯の被ばくへの保障……。まず多重下請けという今の状況を変えなければ。東電まかせで国が責任をとらない今の体制はいずれ破綻します。チェルノブイリでは事故から五年目にチェルノブイリ法と呼ばれる法律が作られました。リクビダートルと呼ばれる原発事故処理作業員、避難住民、帰還者の被ばく線量管理と健康管理は、この法律で国が一元的にやるようになりました。検診は無料と聞いています」。
 「日本は今、これと反対の方向に進んでいます。五年を経て『集中復興期間』は終了です。避難者はとにかく帰れ。作業員は離職したら、後は自費で検診しなければなりません。労災認定はまことに狭い門で、去年十月が初めての労災認定でした。白血病を発病した四〇代の男性です。累積被ばく量は一九・八ミリシーベルトと計測されています」。
 「そして今年四月から、緊急作業者の被ばく限度量がこれまでの年間一〇〇ミリシーベルトから二五〇ミリシーベルトに引き上げられた。事故が起これば作業員はとことん廃炉作業に駆り立てられます」。
 約一時間二〇分の報告であった。休憩をへて、上京中にたまたま講座に参加した熊本在住のジャーナリストから熊本地震の状況について簡潔な報告があり、三月に東京で開催され池田さんも参加した〈反核世界社会フォーラム〉のビデオの一部が流された。約一時間半にわたる質疑では「避難者への賠償金の格差が妬みを生むのは水俣と同じ構造では」等々、多くの意見が出された。
 講座のあと池田さんと進行役の中村泰子さんは夜開催される「原発労働者は要求する! 五・二一春闘集会」の会場へ向かった。 【土田宏樹】

(『思想運動』981号 2016年6月1日号)